● ● ● ● 大門実紀史 Daimon Mikishi  ● ● ● ●

公共事業をめぐる論戦の今後の焦点(「前衛」2000年9月号)
 総選挙では、財政再建や景気対策ともからんで、公共事業のあり方が重大な争点の一つになった。
 日本共産党は、@無駄と浪費のゼネコンむけ大型事業を中心に事業費を段階的に半減させ、財政の主役をくらしと社会保障にうつす、A中身を暮らし・福祉型にきりかえ、国民生活に役立つと同時に中小企業の受注と雇用の増加につながる仕事を積極的にふやす、という二つの公共事業「改革」を訴えた。この提案は、ゼネコン向け大型事業に固執する与党側に、「公共事業に無駄はある」「生活基盤の整備が重要」と認めさせる(六月十一日、「サンデープロジェクト」志位書記局長)など、論戦をリードする役割をはたした。
 総選挙直後の中尾元建設相の受託収賄罪容疑での逮捕は、公共事業をつうじた政官業の癒着と腐敗の構造をあらためて浮き彫りにした。公共事業の抜本的な改革はますます急務となっており、日本共産党のしめす改革の方向がいっそう値打ちを増している。
 本稿では、選挙中の論戦をふまえ、今後の対決点について整理をしておきたい。
 
□無駄な公共事業の見直しはすすんでいるか
 
1 「無駄の見直しはすすんでいる」というゴマカシ

 与党側は、選挙中のテレビ討論会などで、「公共事業の『再評価』によって、無駄な事業の見直しをすすめている」と強調した。とくに公明党の冬柴幹事長は、「この二年間で一三九もの事業をやめさせた」と具体的な数字をあげてさかんに宣伝した。
 大蔵省資料によれば、建設、運輸、農水、国土、北海道開発、沖縄開発の六省庁の事業で、中止または休止になったものは、九九年度が九十二カ所、事業費の合計が二千八十五億円、二〇〇〇年度が四十七カ所、四千二十一億円となっており、二年間で合計百三十九カ所、約六千百億円の事業が見直された。
 しかし、各事業とも数年から十年以上にわたる事業である。六千百億円といっても、単年度にすると一千億円以下の削減にしかならず、公共事業費五十兆円のわずか〇・二%にすぎない。さらに二〇〇〇年度に中止された事業には、住民の猛反対で中止に追い込まれた千歳川放水路(事業費三千七百億円)がふくまれている。公明党は、道議会で千歳川放水路関連の予算に賛成し、中止させたどころか容認の立場をとった。それをのぞけば、中止したのは小規模の事業ばかりである。
 事業数でも、六省庁が全国で計画、あるいはすでに実施している約八千の事業のうち、わずか一%程度を中止したにすぎない。
 自然破壊や浪費を指摘されている大型事業は、全国にたくさんある。たとえば、利水・治水関係の事業ひとつとってみても、マスコミなどから自然破壊や過大な需要予測を指摘されているもののうち、事業費が一千億円以上のものだけでも、全国で十二事業あり、事業費の合計は二兆七千億円にものぼる(表1)。このほか空港、港湾などにも多くの無駄な事業が存在する(『議会と自治体』一月号〜六月号「日本の公共事業、その実態」自治体局調査チーム参照)。これらの大型事業こそ、優先して見直されなければならない。
 
2 無駄をなくすためになにが必要か

 本気で無駄な事業をなくすのであれば、第一に、「総額つかいきり方式」をやめるべきである。政府は、必要な事業を積み上げて事業費の総額をきめるのではなく、総額を先に決めてから、何がなんでもそれを使い切るために不要不急の事業を次つぎとすすめてきた。
 その大もとにあるのが、「公共投資基本計画」と道路、港湾、空港など各分野の「長期計画」である。
 現行の「公共投資基本計画」は、一九九五年度から二〇〇七年度までに総額六百三十兆円の公共投資をおこなおうというもので、内需拡大を求めるアメリカの要求にこたえつつ、公共事業の受注拡大をのぞむゼネコンや鉄鋼、セメントなど大企業の強い要望にもそったものであり、公共事業「五十兆円」路線の根源となっている。
 経済企画庁の資料をもとに、九五年度から九九年度末までの「公共投資基本計画」の実行額を推計すると、約二百五十兆円となる。残りの三百八十兆円を消化しようとすると、毎年、四七・五兆円の公共事業を二〇〇七年度までつづけていかなければならなくなる(表2)。そんなことをすれば、国・地方の借金は現在より二百三十兆円以上も増え(公共事業の約六割は借金でおこなわれている)、借金残高は九百兆円にせまる。日本の財政破綻が致命的なものとなるのは明らかである。
 各分野の「長期計画」も、各省・各局が「はじめに総額ありき」で策定したものである。経団連、商工会議所、経済同友会、日本貿易会の財界四団体が設立した調査機関である「日本経済調査協議会」は、七月三日に提言「利用者と納税者のための公共事業改革」を発表した。このなかでも、「(各省の)シーリングの採用が、無駄な公共投資を温存し、真に必要な投資を先送りすることにつながった」とのべ、総額主義とその固定化を批判している。
 これらの「計画」を廃止し、必要な事業を積み上げ計画的にすすめる方式へ切り替えることこそ無駄な事業をなくす最大の保証である。
 第二に、何が必要な事業なのかを判断するために、欧米なみの民主的な事業評価制度を確立することである。
 六省のおこなっている事業の「再評価」は、計画されたものの長期にわたり着手されなかったり、中断したままになっている事業のなかから中止する事業を選ぶというもので、事業全体の見直しとはほど遠いものである。無駄な公共事業への国民の批判をうけて、各省が九八年度より、「アリバイ」程度におこなってきたものにすぎない。
 日本の事業評価制度は、欧米にくらべてずさんで実効性のとぼしい制度である。第一に、住民や第三者機関の参加が十分に保証されていない。第二に、評価時に「事業の中止」もふくめた代替案の検討がなされない。第三に、計画段階の評価でなく事業段階の評価になっているため、事業の中止・変更がしにくい。第四に、事後の評価をおこなわないため、過大な需要予測や不十分な環境調査であったことがあとで露呈しても、誰も責任が問われない。費用対効果を分析する「費用便益分析」はとくにでたらめで、「あとは野となれ山となれ」といわんばかりに浪費的な事業をすすめてきた。
 先にあげた「利用者と納税者のための公共事業改革」でも、日本の評価制度は「欧米より数十年遅れている」と指摘している。本当に必要な事業を精査し、環境への負荷を最小限に抑えるためには、住民参加と第三者の専門機関によるチェック、事前、事中、事後の評価を厳格におこなう欧米のような制度をいそいで確立する必要がある。
 
□「生活型」への切り替えはすすんでいるか
 
1 「生活型」でカムフラージュしたゼネコンむけ大型事業
 
 与党側は、わが党などの批判をうけて、ゼネコン中心の大型開発を胸を張って表に押し出せなくなり、「生活型」を前面にかかげるようになった。しかし、これも国民をごまかすためのカムフラージュにすぎない。
 選挙中、自民党・野中幹事長は「二〇〇〇年度予算でも公共事業費九兆四千億円のうち、物流効率化、環境、少子高齢化、高度情報通信の『四つ重点』に二兆六千億円を重点配分した」「バリアフリー化や下水道、生活環境の整備など生活基盤を重視している」と主張した。しかし、その「四つの重点」のうち生活型に分類できるものは、六千六百億円(約三割)程度であり、大半はゼネコンむけの従来型公共事業である。
 また与党側は、「景気の回復軌道を確実なものにするため」として、五千億円の公共事業予備費を執行しようとしている。公共事業の経済効果が低下しているのはすでに明らかで、景気浮揚の役に立たないことは政府自身も認めている(今年二月十四日、衆議院予算委員会、志位書記局長への宮沢蔵相の答弁)。にもかかわらず、政府がいぜんとして「景気対策」を理由にあげるなら、九二年以来、七十一兆円(国民一人あたり五十六万円、四人家族で二百三十万円)もつぎ込んだ過去の公共事業の積み増しを(表3)、財政支出とその経済効果という点で実証する責任がある。
 与党側はこの予備費についても、「基幹的交通網」(一千七百億円枠)のなかで、「開かずの踏み切り」対策をとりあげていることを強調した。しかし、「開かずの踏み切り」対策は、一カ所三百〜四百億円もかかる大事業(建設省「連立立体交差事業」)である。四つもやれば一千七百億円の枠を全部使い切ってしまうことになる。むしろ、この「基幹的交通網」のメインは、整備新幹線や関空二期工事などゼネコンむけの大型事業である。それを国民の目からそらすために、「開かずの踏み切り」を宣伝材料にもちだしてきたにすぎない。その他の事業も従来型の枠を出ず、「生活型」を重視した配分はされていない。
 この予備費については、その分野別の配分が衆議院の解散日に決められたことから、マスコミからも、「選挙目当ての予算の政治利用」(「日経」六月四日付社説)など、きびしい批判をあびた。与党側は選挙後、国民の批判を気にして、こんどは「防災対策」を看板にかかげだした。阪神・淡路の震災対策でも、住民の生活再建をなおざりにして、土木事業が優先された。有珠山や三宅島の噴火災害にかこつけて、ゼネコンむけ土木事業の推進を意図したものといわなければならない。
 
2 「生活型」への投資はむしろ後退している
 
 「公共投資基本計画」は、日本の対米貿易黒字を解消する目的で策定されたことから、輸出拡大に直結しない分野への投資=「生活基盤整備」を重視することになっている。しかし、この数年、生活基盤への投資比率はむしろ後退している。
 「行政投資実績」(自治省)によると、生活基盤整備の公共事業全体にしめる割合は、八〇年度の四三・〇%から九二年度の四九・三%までは増加してきたが、それ以降は逆に低下し、九七年度では四八・八%となっている。
 建設業保証事業会社協会の「施設別構成比」の統計でも、生活基盤整備の比率は、九四年度の五〇・三%から九九年度の四四・七%に低下している(表4)。「生活型」への切り替えはすすんでいるどころか、後退しているのが実態である。
 
□日本の社会資本整備はおくれているか
 
 自民党はよく「レ・ミゼラブル」に出てくるパリの下水道を例にあげて、ヨーロッパにくらべて日本の社会資本整備はおくれていると主張する。またゼネコンの幹部も「オランダと九州は総面積、総人口、GDP(国内総生産)がほぼ同じであるにもかかわらず、九州の高速道路密度は雲泥の差ほど遅れている」などの例をあげて、公共事業は減らすべきでないと訴えている(『建設業界』六月号・大本組吉川昌宏氏)。しかし、これらの「社会資本整備が欧米に比べて劣っているから公共事業は必要である」という理屈にも、ゴマカシとスリカエがふくまれている。
 
1 おくれているのは生活基盤の整備であり、社会資本全体ではない。産業基盤はすでに世界最高の水準に達している。
 
 下水道普及率は、日本が五八%(九八年度)であるのにたいし、アメリカは七一%(九二年)、ドイツが九二%(九五年度)となっており、日本は欧米よりもおくれている。また、福祉、教育、文化施設など生活基盤の整備も欧米よりおくれているのは事実である。
 しかし、産業基盤整備はおくれているどころか、すでに過剰である。先にあげたゼネコン幹部のオランダと九州を比較した発言は、平野の多い外国と日本の山がちな地方をくらべた、こじつけの議論にほかならない。面積で比較するなら、人が実際に住むことのできる可住地面積でくらべなければならない。可住地面積あたりの高速道路延長では、日本はアメリカ、フランス、イギリスの三倍以上にもなっており、すでに世界最高の水準である(表5)。しかも、日本の高速道路は、三十六路線中二十一路線が赤字となっている(九八年度決算)。過大な通行量を見込んで、必要以上に造られた結果である。空港建設や港湾整備なども、ありあまるほどおこなわれ、需要不足や採算割れにおちいっている。
 おくれているのは生活基盤の整備であり、けっして社会資本整備全体が遅れているわけではない。
 
2 なぜ巨額の公共事業をおこないながら、生活基盤の整備が欧米より遅れているのか−−土木偏重の日本の公共事業の問題点
 
 日本が毎年、巨額の公共事業費をつぎ込みながら、なぜ生活基盤整備が欧米よりおくれているのか。その原因は、自民党政治のゆがんだ公共事業政策にある。
 第一に、歴代の自民党政府が、戦後一貫して生活基盤より産業基盤の整備を優先してきたことである。このことが一人当たりGDP(国内総生産)が世界のトップ水準であるにもかかわらず、他の先進国にくらべて住環境の悪さや福祉施設が不足しているなど、生活基盤のおくれをまねいた。
 第二に、日本の公共事業が土木、開発型に偏重していることである。日本とアメリカの公共事業(九八年度政府投資)の内容を比較すると、日本は土木事業が八二・二%、建築事業が一七・九%であるのにたいし、アメリカは土木が五五・三%、建築が四四・七%となっている。日本の公共事業が施設などの建築事業より、道路や開発などの土木事業に偏重していることがわかる(表6)。
 しかも、生活基盤整備のなかでも、ゼネコンがうるおうような「土木型」事業が優先され、それがかえって整備の進捗(しんちよく)をおくらせてきた。
 たとえば、下水道事業である。下水道への投資額は毎年四兆円をこえ、GDPの一%や軍事費に匹敵する莫大な金額である。にもかかわらず、下水道の普及速度は非常におそい。この原因は、建設省が「広域下水道」(人口密度の低いところでも各戸へ下水道管を引いていく)という「土木型」の方式に固執していることにある。現在、すでに都市部では普及がすすみ、人口密度の低い地域へ下水道を敷くことが課題となっている。そういうところへも全部「広域下水道」方式ですすめようとすると、膨大な費用と時間がかかる。合併浄化槽やコミュニテイプラント方式(小さな集落ごとの小規模処理施設)などを組み合わせた効率的な方式ですすめれば、事業費の大幅な節減になり、普及率も飛躍的に引き上げることができる。九八年十月の総務庁「行政監察結果」でも整備手法の問題点が指摘され、効率的な方式をとるように通知がされている。ところが建設省は、これらの批判を意識し、「IT(情報技術)革命」の推進にかこつけて、下水道を活用して光ファイバー網を各戸まで延ばすという計画をすすめている。何がなんでも土を掘りすすむ姿勢である。
 こういうゼネコンだけが喜ぶ「土木型」事業をつづけていては、無駄と浪費はなくならず、いくらお金をつぎこんでも生活基盤の整備は遅々としてすすまない。わが党が提案する、公共住宅や生活道路、福祉、文教施設などの建設に重点をおいた暮らし・福祉型へのきりかえこそ、生活基盤の整備を早めるもっとも確実な道である。
 
□公共事業費を半減しても、必要な事業は十分にできる−−暮らし・福祉型事業の積極的展開を
 
 公明党は「公共事業五十兆円のうち半分は生活基盤投資であり、共産党の言うように半減すれば、国民生活におおきな打撃となる」(「公明新聞」六月十七日付)と批判した。しかし、これも現在の公共事業の実態をかくし、国民をあざむく議論である。
 「公共事業五十兆円」のもとの資料は、毎年、自治省が発表する「行政投資実績」である。その分野別、事業別の金額、構成比(九七年度)は表7のようになっている。自治省の分類では生活基盤投資が約半分を占めているが、そのなかには無駄な大型開発に関連した事業がふくまれている。
 第一点は、「都市計画」のなかにふくまれている都市基盤整備公団(旧・住都公団)の事業である。同公団はゼネコンや銀行の不良債権となっている土地の買取をすすめているが、これも「生活基盤整備」にカウントされている。
 第二点は、「水道」事業の中身である。利水を目的とした河川事業などは、その多くが過大な需要予測にもとづいておこなわれているが、その関連事業も「水道事業」に分類される。たとえば、浪費と環境破壊の典型として全国的な反対運動をよびおこした長良川河口堰(かこうぜき)の関連事業である。長良川河口堰は、もともと水が足りないわけでもないのに利水を目的の一つとしてつくられ、せきとめた水を愛知県や三重県などに送っている。この都市用水などの施設建設費は「水道」事業にカウントされる。
 第三点は、前述の「下水道」事業である。効率的な方式をとれば、事業費の大幅な削減は可能である。また環境破壊が問題になっている「三番瀬」でも、下水道終末処理場の建設は「生活基盤」に区分されことになる。
 第四点は、全国各地の無駄なハコモノ建設である。年に何回かしか使われないような「豪華体育館」や「競技場」なども「生活基盤」に数えられている。
 これらの「生活基盤整備」にふくまれる浪費をなくせば、事業費を大幅に削減することができる。
 公共事業費は、八五年から急膨張してわずか八年で約二倍の五十兆円をこえた(八五年度二十六・五兆円から九三年度五十一兆円)。異常に膨らみすぎた日本の公共事業費は、半減してもまだアメリカより多い金額である。国際比較ができる一般政府固定資本形成(国と地方をあわせた公共投資額で用地費や公団などの事業はふくまれない)の金額でくらべると、日本は半減しても千六百三十九億ドル、米国の千二百九億ドルよりまだ多い(九五年度)。米国は人口で日本の約二倍(二億六千万人)、面積は二十五倍(九百三十六万平方メートル)である。
 無駄な大型開発をやめ、生活基盤整備を重点にすれば、二十五兆円でも使い切れないほど、たくさんの国民のための公共事業ができる。特別養護ホーム、保育園、学校施設、公共住宅の建設など、国民が待ち望んでいる多くの仕事ができるのである。
 大型事業は、中小建設業者の受注を減少させ、雇用も減らした(拙稿『前衛』九九年十月号参照)。暮らし・福祉型にきりかえれば、中小業者の受注や雇用を増やし、地域の経済をあたため、景気の回復にも貢献することができる。
 
□「公共事業五十兆円、社会保障二十兆円」論への攻撃について
 
 さらに公明党は、「共産党のいう公共事業に五十兆円、社会保障に二十兆円というのは、公共事業を大きく見せるためのゴマカシである。比較するのであれば社会保障給付費(約七十兆円)とくらべるのが妥当」(「公明新聞」六月十一日付)など、日本共産党の「五十兆円、二十兆円」論を批判するキャンペーンをおこなった。しかしこれも、日本の公共事業費の異常な大きさを国民の目からおおい隠そうとする詭弁(きべん)である。
 わが党が問題にしているのは、公共事業と社会保障への国、地方の負担のあり方、広い意味での「税金の使い方」にほかならない。
 公共事業の財源についてみると、租税が三〇%程度をしめ、公債発行(借金)が約六〇%である。公債はいずれ税金で返さなければならない。残りの公団などがおこなうものについても、国や地方自治体から出資金や補助金がつぎこまれており、さらに採算がとれず借金がふくらめば旧国鉄の借金処理のように税金と無縁ではなくなる。五十兆円の公共事業は、現在と将来の税金でまかなわれているといえる。
 社会保障の二十兆円は、社会保障にたいする国・地方の公費負担分を集計したものである(国立社会保障・人口問題研究所の資料)。社会保障の財源は、国と自治体の公費負担が二四%(約二十一兆円)、被保険者と事業主の保険料が約六一%をしめている。したがって社会保障給付費(約七十兆円)には、国民が支払った保険料がふくまれており、全額が公費負担ではない。税金の使い方、公費負担のあり方を問題にするとき「公共事業が五十兆円、社会保障が二十兆円」が正確であり、社会保障給付費をもちだす公明党の主張は間違いである。
 また実際の公共事業費は、五十兆円を大きく上回っている。
 公共事業はそのほとんどが借金でおこなわれている。したがって公債の利払いをふくめたものが、実質的な毎年度の公共事業費である。この点は、政府も「投資時の財源構成が利払い等、間接的な支出の将来の規模に影響を与えるという関係を踏まえ、直接の投資的支出と将来の間接的支出を総合して検討を加える必要がある」(「今つくる明日への社会資本」経済企画庁総合計画局)とし、実際の公共事業費は利払いをふくめ考えるべきであると認めている。公共事業費に利払いを加えた「実質公共事業費」を試算すると、表8のようになる。九三年度以来、年間六十兆円をこえる膨大な金額である。
 しかも「行政投資実績」には、第三セクター方式の事業はふくまれず、東京湾横断道路の建設(一兆四千四百億円)や、関西空港二期工事(一兆五千六百億円)、苫小牧東部開発(三千六百億円)などの事業費は入っていない。事実上の公共事業である第三セクターの事業を入れれば、日本の公共事業費はさらにばく大な金額となる。
 
□大型開発がいかに日本の自然環境を破壊してきたか
 
 大型開発と環境破壊の問題も今後の焦点になってくると考えられる。各地で問題になっている事業は、本紙の各号で精力的にとりあげられている。ここでは、この約二十年間に、大型開発中心の公共事業によっていかに日本の貴重な自然環境が破壊されたか、いくつかのマクロ的な資料を紹介したい。
 「植生自然度調査」(環境庁)の第一回調査(一九七三年実施)と、第四回調査(八九年〜九二年実施)を比較すると、一万四千六百九キロ平方メートルの自然林・二次林が消滅している。これは、東京、埼玉、神奈川、千葉、一都三県の面積の合計(一万三千二百七十八キロ平方メートル)をこえる規模の自然林・二次林が失われたことを意味する。
 「海域生物調査」(環境庁)によると、生物の宝庫である日本の干潟は、一九七八年に五万五千三百ヘクタールあったものが、九一年の調査では五万千四百四十三ヘクタールに減少し、わずか十二年で三千八百五十七ヘクタールが消滅した。これは三番瀬の埋め立て計画案(縮小案)百一ヘクタールの、約四十倍の貴重な干潟が失われたことに等しい。しかも干潟の消滅理由は、埋め立て(四二%)、浚渫(しゅんせつ)(一一%)、干拓(二%)など、人工的な理由が過半数となっている。
 「海岸調査」(環境庁)の一九七二年と九二年を比較すると、自然海岸が八百六十一キロメートルも消滅している。これは東京・広島間の距離(約八百九十キロメートル)に匹敵する。その一方で、埋め立て事業がすすんだために、人口海岸は千三百四十二キロメートルも増加している。
 生態系の破壊と貴重な生物の消滅が、ものすごいスピードですすんでいる。自然環境の保護という点からも、無駄な大型開発をやめ、欧米なみの環境アセスメント(事前評価制度)の確立を早急にすすめる必要がある。
 
□公共事業をめぐる政官業の癒着構造をなくすために
 
 自民党が、何がなんでもゼネコンむけ公共事業に固執し、「総額五十兆円」を維持しようとする最大の理由は、公共事業を介した利権の構造=政官業の癒着構造を守ることにある。中尾元建設相の汚職事件は、自民党の救いがたい利権、腐敗体質を露呈したものとなった。癒着と利権の構造を根本的になくすには、二つの面から防止策がとられなければならない。
 第一に、公共事業が決められるしくみを正すことである。自民党議員などは、個別の事業に直接、関与しなくても、自分の選挙区に公共事業予算をもってくることにより、建設業団体から票と献金をうけとる。このしくみにメスをいれるには、特定の地方、地域の事業に予算をつける、いわゆる「箇所付け」にたいする民主的チェック制度と、決定過程とその理由の公開が制度化されなければならない。さらに、欧米のような民主的な事業評価制度を確立し、政治家などによる公共事業の恣意(しい)的な利用を排除することが必要である。また癒着の根底にある企業、団体献金や「天下り」の禁止は当然である。
 第二に、政治家などが個別の事業執行へ関与するのをやめさせることである。そのためには、入札・契約制度の透明化と民主化(八二年「公共事業と入札制度の民主的改革のために−−日本共産党の提案」参照)、「あっせん利得罪」(地位利用収賄処罰法)の制定などを急ぐ必要がある。
 そして何より、「総額主義」をあらため、無駄な事業をなくして公共事業費総額の削減をはかることである。このことが、浪費事業の大盤ぶるまいによって公共事業を食い物にしてきた政官業の三者にとって、最大の打撃となるであろう。
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