● ● ● ● 大門実紀史 Daimon Mikishi  ● ● ● ●

「竹中『構造改革』の三つの欠陥」(「前衛」2002年2号)
 失業者がどれだけ増えようが景気がどんなに悪くなろうが、小泉総理や竹中平蔵・経済財政政策担当大臣は「構造改革なくして景気回復なし」と御題目のように繰り返すばかりである。昨年12月4日に発表された「経済財政白書」も、わざわざ「改革なくして成長なし」という副題までつけて、彼らの「構造改革論」をひたすら正当化するための内容になっている。いまや「構造改革なくして」という言葉は、マサチューセッツ工科大学のポール・クルーグマン教授が「妄信的スローガン」と指摘したように(「ニューヨークタイムズ」7月8日付)、神がかり的な様相を帯びてきた。
 いったい「構造改革なくして景気回復なし」とは、何を意味し、何をめざしているのか。
 この「標語」は、いわゆる「骨太方針」(「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」2001年6月)の第1章「構造改革と真の景気回復」の最後のフレーズ「構造改革なくして真の景気回復、すなわち持続的成長はない」からきている。
 またこの章のなかに、かれらの「構造改革論」の基本的な考え方がすべて凝縮されており、竹中大臣の国会答弁もこの部分を繰り返し引用しているだけである。「骨太方針」第1章1の部分を要約すると次のようなことになる。
 *「いかなる経済においても、生産性の伸びが高い成長産業と生産性の停滞する産業が存在する。停滞する産業に代わり新しい成長産業が不断に登場する経済のダイナミズムを『創造的破壊』と呼ぶ。これが経済成長の源泉である。市場の障害物や成長を抑制するものを取り除いて、労働や資本など経済資源が速やかに成長分野へ流れていくようにすることが経済の『構造改革』である」
 *「この『構造改革』はその過程で痛みを伴うが、それは経済の潜在的供給能力を高めるだけでなく、成長分野における潜在的需要を開花させ、新しい民間の消費や投資を生み出す。したがって、構造改革なくして真の景気回復、すなわち持続的成長はない」
 本稿では、この考え方を策定者の名をとって竹中「構造改革論」と呼ぶことにする。
 この竹中「構造改革論」は、一見、経済合理性のある論理のように見えるが、景気も国民生活も取り返しのつかない破局に導く危険性をはらんでいる。なぜなら、この「改革論」は3つの根本的な欠陥をもっているからである。以下、国会論戦で明らかになった点もふくめ、その欠陥について指摘したい。
<第1の欠陥>
供給サイドの改革だけでは景気は回復できない
 第1の欠陥は、竹中「構造改革論」のシナリオそのものが、論理的な矛盾をもっていることである。
 竹中「構造改革論」のシナリオとは、具体的には次の2点である。
 1.生産性の低い産業(企業)から、生産性の高い産業(企業)へ、労働力や資本(資金や設備)を移動することが経済成長をもたらす。それを促進するのが「構造改革」である。そのために「不良債権の最終処理」と「規制改革」を急ぐ。
 2.「構造改革」は、供給サイド(企業側)の生産性や供給力を高める。そうすれば、企業は、新たな投資をおこない、魅力的な商品やサービスを消費者に提供することができる。そして、それが潜在的な需要(眠っている消費意欲)を掘り起こし、やがて景気も回復する。
 この2点について、それぞれ検討してみたい。

 不良債権の最終処理の目的にも色濃く反映

 1.の「生産性の低い産業(企業)、生産性の高い産業(企業)へ、労働力や資本(資金や設備)を移動する」という考え方は、不良債権の最終処理の目的にも色濃く反映されている。
 「骨太方針」では、不良債権を生んだ産業の多くが非効率的で低収益の構造にあると決めつけたうえで、不良債権の最終処理によって、経済資源をそういう産業から成長産業に移動することができると述べている(第1章2「不良債権問題の抜本的解決」)。つまり、不良債権の最終処理は、銀行の不良債権をなくすと同時に、それと表裏一体である債務者企業(すなわち非効率な企業)をつぶすことにもなるから「一石二鳥」というわけである。そうすれば、そこに塩漬けになっていた資金を新たに成長分野の企業に移動できるようになり、それが経済成長をもたらすというシナリオを描いている。
 しかし、そもそも過剰債務を抱えた企業イコール非効率な企業となぜ言えるのか。生産性や技術力の高い企業でも、この不況で債務を抱えこんだ企業はたくさんある。しかも不良債権の対象とされる企業のほとんどは中小企業である。不況にあえぎながらも日本経済を必死にささえている中小企業を、役立たずだからつぶしてしまえと言わんばかりのきわめて粗暴な論理である。
 しかし、いまのように需要が低迷するもとでは、「構造改革」をやれば低成長分野から成長分野へ経済資源がそのまま移動するというのは、短絡的すぎる話である。
 かりに不良債権の最終処理で「生産性の低い」企業をつぶし、銀行が「身軽」になったとしても、新たにお金を借りてくれる企業が見つからなければ、資金は移動しない。
 いままでも日銀の量的緩和によって銀行にはジャブジャブに資金は供給されているが、銀行の貸出は減少し、98年1月以来、47カ月連続の前年実績割れである(日銀「11月貸出・資金吸収動向速報」)。その主な要因は、企業が銀行からの借り入れを減少させていることにある。日銀の主要銀行貸出動向アンケート調査(2001年10月)でも、企業の資金需要が大幅に低下しており、その原因は売上の減少と設備投資の減少が上位を占めている。企業は不況のために新たな投資ができない、控えているというのがいまの全体状況である。さらに銀行側も中小企業にたいしては、きわめて厳しい課し出し態度を続けている(日銀2001年12月「企業短期経済観測調査」)。
 景気が回復し、消費が活発になってこそ、企業も新たな投資をおこなうことができ、銀行の貸出姿勢も緩和される。需要が低迷するもとでは、経済全体で設備投資が拡大し、それにともなう資金需要や銀行貸出が増大することはない。いくら「非効率な企業」をつぶしても、「骨太方針」で言うような資金の移動は起こらないのである。
 設備投資の面から言えば、竹中「構造改革論」は、「不良債権があるから銀行の貸出資金が枯渇し、設備投資が増えない」という虚構を前提にした誤った議論である。
 労働力の移動についても同じことが言える。不況のもとでは、倒産に追い込まれた企業の労働者を吸収するような成長企業も生まれにくい。竹中大臣が成長産業として期待していたIT情報関連の各企業でさえ、ITバブルがはじけ、リストラ・解雇に狂奔して、雇用を増やすどころか失業者を増やしている有様である。不況のもとで「構造改革」をすすめれば、労働力の移動など間に合わず、ただ失業を増大させるだけである。
 「規制改革」をやれば、企業が新たに参入して競争が活発になり、雇用も増え、経済全体を活性化させるというのも、不況下では単純すぎる議論である。すでに規制緩和は各分野ですすめられてきたが、今までの規制緩和がどれだけの新規企業を生み、雇用を創出したかは明らかになっていない。むしろ競争が激化したことにより、倒産・廃業の方が増加し、失業を増やした可能性が高い。
 「事業所・企業統計調査」(総務省)によれば、この数年、廃業率が開業率を上回り、その差は拡大している(図1)。しかも、竹中「構造改革」論が「規制改革」で起業を期待するサービス業でも、開業率の鈍化が始まっている。結局、不況で民間消費が低迷するもとでは、「規制改革」をやれば必ず新規開業や参入を誘発するという話にはならないのである。昨年12月11日、政府の総合規制改革会議が発表した「規制改革の推進に関する第一次答申」も、各分野に競争原理さえ持ち込めば、経済が活性化するという単純な内容にすぎない。むしろ「雇用の流動化」の促進など、不安定雇用を拡大して企業が労働者を使い捨てにしやすくすることに重点がおかれている(派遣・契約労働の拡大など)。こういう「規制改革」では、雇用を創出するどころか、失業率を高水準に固定し、雇用・収入への不安をいっそう拡大して個人消費をさらに冷え込ませることは間違いない。
図1 会社数による開廃業率の推移(非1次産業、年平均)
資料:総務省統計局「事業所・企画統計調査」再編加工
(注)1991年までは「事業所統計調査」、
 1994年は「事業所名簿整備調査」として行われた。
 竹中「構造改革論」の、不良債権処理や「規制改革」をやれば低成長分野から成長分野に資源が移動するという話は、需要の回復なしには起こりえない。経済は需要と供給が密接な関係にからみあって発展するということさえ忘れた、一面的な観念論である。


 メカニズムそのものが不明

 次に2の「『構造改革』は、供給サイド(企業側)の生産性や供給力を高める。そうすれば、企業は、新たな投資をおこない、魅力的な商品やサービスを消費者に提供することができる。そしてそれが潜在的な需要(眠っている消費意欲)を掘り起こし、やがて景気も回復する」というシナリオについて検証する。
 「経済財政白書」では、「供給力の強化とともに需要増加にもつながる構造改革の具体的イメージを検討する」として、ご丁寧に中長期的な潜在成長率まで推計している。
 しかし、企業の供給力の強化が、どうして需要全体の増加につながるのか、そのメカニズムそのものが不明である。
 このことに関して、昨年11月15日の参議院予算委員会で竹中大臣は「供給サイドがしっかししない限りはどこに需要をつけたって、需要がはげ落ちたらまたもとに戻るだけ、供給サイドをしっかりさせていこうというのが構造改革です。供給はみずからの需要をつくりだすという『セイの法則』という有名な言葉があります」と述べている。
 「セイの法則」とは、19世紀のフランスの古典派経済学者セイが唱えた理論である。
 「供給はそれに等しい需要をつくりだす」という話で、一定の産業構造と完全な市場メカニズムを前提として、価格変化が需給をただちに調整するという仮説にもとづいたものだが、1930年代の世界恐慌の発生と、マルクスの『資本論』(とくに第1巻第3章注73、第4章注31)やケインズの「有効需要の原理」(セイとは反対に「需要が供給を生み出す」という主張)によって否定された理論である。こういう時代錯誤のものを持ち出すこと自体、竹中「構造改革」論が、わが党の第3回中央委員会総会が指摘したように「19世紀の経済論への逆行」であることを自ら証明しているようなものである。
 日本経済の問題は需要が供給力を下回っていることにある。デフレギャップ(需要不足)であり、供給が需要に追いつかないインフレギャップではない(図2)。その最大の原因は個人消費の低迷である。このことを無視して供給能力だけアップすれば、デフレギャップはさらに拡大するだけである。
図2 日本のGDPギャップの試算
(注)2001年8月9日日経財政諮問会議配布資料
 実体経済において竹中大臣がいう「供給力をつければ、それが需要もつくりだす」という理屈が成り立つとしたら、それは「『ある社会』が供給力をつけ、『ある魅力的な商品』を開発して、それを市場に売り出せば、それを欲しいと思った『ある消費者』が買う」という個別的なケースにおいてだけである。たとえば、今の不況下でも新しいゲームソフトが出れば、それを買うために子どもたちが行列をつくる。良質な新型自動車が出れば、それは一定売れるのである。個別的には、竹中「構造改革論」の言うように、企業が供給力をつけ、魅力的な商品を市場で売り出せば、潜在的需要(眠っている消費)を掘り起こすことはありうる。しかし、それで景気全体が回復するわけではない。ある個別の商品が売れるだけのことである。
 もしも、こんな理屈で消費全体が伸びるとしたら、それは消費低迷の理由が「(国民は十分お金を持っているが)買いたいと思うような魅力的な商品やサービスがもう見当たらないから、モノを買わないでいる」という場合だけである。そういう消費が完全に飽和状態にある場合なら、魅力的な商品やサービスが次々に登場すれば、その分、消費全体が上向くかも知れない(もちろん、これもどこかで限界に突き当たるが)。
 しかし、いまの消費が低迷している理由はそうではない。内閣府の外郭団体である日本リサーチ総合研究所の「10月消費者心理調査」の調査でもあきらかなように、消費が落ち込んでいる最大の理由は「雇用不安」と「収入の減少にたいする不安」である。
 この状態では、いくら企業が供給力をつけ、新しい商品やサービスを供給しても、個別的にある商品が売れることはあるかもしれないが、消費全体は拡大しない。
 たとえば、携帯電話やインターネットが飛躍的に普及したが、家計消費全体が伸びているわけではない。2000年度で見ても、通信費は前年比9.8%も増加しているが、家計消費全体はマイナス0.9%の落ち込みである(総務省「家計調査」)。通信費が増えた分以上にその他の支出が節約されている、つまり「支出の振り替え」が起きているのである。
 雇用不安や収入の減少が消費低迷の理由であるかぎり、個別の新商品が売れることはあっても「支出の振り替え」が起きるだけで、消費全体は拡大しない。「供給がみずからの需要をつくりだす」という話は、あくまで個別的(ミクロ)な話であって、とくにいまの日本経済全体には当てはまらない。したがって、このような理屈では景気を回復することなどできないのである。
<第2の欠陥>
不況の悪循環(合成の誤謬)をまねく
 竹中「構造改革論」の第2の欠陥は、これが最も危険な点であるが、日本の経済を不況の悪循環に陥れるということである。
 竹中「構造改革論」が言う企業の供給力アップ(生産性の向上)とは、具体的には企業のリストラの促進に他ならない。
 そもそも、ある産業、企業において生産性を高めるということは、同じ量の商品やサービスを生み出すのに必要な「投入要素」(資本、労働、原材料)を減少させるということである。
 各企業が闇雲にリストラに走り設備や労働者を削減すれば、当面の経常利益は増えるかもしれないが、経済全体で見れば、設備投資は減少し、失業が増加することによって所得の減少と個人消費の低迷をまねく。経済全体の有効需要が縮小し、結果的に企業の収益性をも下げるという悪循環に陥る。
 こういう個々の経済主体にとっては正しいと思った行動が、経済全体で見れば必ずしも正しい結果にならないことを合成の誤謬という。竹中「構造改革論」は、この合成の誤謬を防ぐどころか促進し、日本経済を破綻に導く理論である。
 日本経済は、すでにこの合成の誤謬に陥っていると考えられる。

表 日本経済はすでに合成の誤謬に陥っている
年度 経常利益 売上高 雇用者数 完全失業者 常用労働者賃金
億円 億円 万人 万人 月間    万円
1996
1997
1998
1999
2000
277,878
278,058
211,642
269,233
358,660
14,483,830
14,674,240
13,813,377
13,834,639
14,350,278
5,347
5,392
5,353
5,325
5,372
225
236
294
320
319
41.3
42.1
41.6
39.6
39.8
法人企業
統計年報
(財務省)
法人企業
統計年報
(財務省)
労働力調査
(総務省)
労働力調査
(総務省)
毎月勤労統計
(厚生労働省)
※ただし、1997年〜2001年9月までの間に、常用雇用者は127万人減少しているのに
対し、臨時・日雇は80万人増えている(総務省「労働力調査」)


 表に、過去五年間の企業の経常利益、売上高、雇用者数、完全失業者数、常用労働者賃金を示した。96年度と2000年度を比較すると、経常利益は約3割増加、しかし売上高はほぼ横ばい。雇用者数も横ばいであるが、中身はこの間のリストラで常用労働者が127万人減少し、臨時・パート雇用者が80万人増加している(総務省「労働力調査」)。そして完全失業者は94万人も増加、賃金は低下している。
 こういうなかで図2のように、需給ギャップも5年間で5.1%、金額にして約25兆円も広がっているのである。
 これらの数字をもとに、昨年11月15日の参議院予算委員会で「いまや日本経済は合成の誤謬の段階に陥っているのではないか」と竹中大臣を追及した。竹中大臣は「これは合理的な民間行動の結果であって、今まさに『調整』を行っているわけです」と答え、さらに「しかし、(この『調整』の過程で)供給サイドが強くなっていくじゃないですか(そうすれば、いずれ需要も拡大する)」と、あくまで供給サイドの強化が需要の拡大につながるという前述の主張(2)を繰り返した。
 結局、竹中大臣は合成の誤謬という言葉は最後まで認めようとしなかったが、「少なくとも危機意識は持っています。ここで消費が大幅に落ち込むようなことになりますと、スパイラル〔らせん〕的な悪化〔デフレ・スパイラル〕の懸念というのはやっぱりある」という認識は述べざるをえなかった。
 しかし、デフレ・スパイラルというのは、モノが売れなくなって物価が下がり、物価が下がるから企業は売上が落ちてリストラをやる、リストラをやるからまた消費が落ち込んでモノが売れず、また物価が下がるということであり、合成の誤謬と表裏一体の言葉である。
 昨年11月8日付の日経新聞のコラム「大機小機」は、「各企業のコスト削減、リストラ競争の強化によって、2000年の後半あたりから日本経済はこの合成の誤謬に陥っている」という分析をしめた。『諸君』2002年1月号では、野村総合研究所のリチャード・クー主席研究員も、日本経済は合成の誤謬に直面していると主張し、昨年11月15日の竹中大臣のこと答弁をとりあげ、「(合成の誤謬を認めようとしない竹中大臣の姿勢に)危機感を覚える」と述べている。さらに昨年12月8日付の読売新聞社説も「日本は先進国では戦後初の危険なデフレスパイラルに陥りかけている」という主張を掲げた。
 竹中大臣がいくら否定しようとしても、日本経済がきわめて危険な悪循環の段階にあることは、もはや共通の認識である。
 昨年12月7日に発表された7〜9月期の国内総生産(GDP)は、年率換算でマイナス2.2%となり、その6割をしめる民間消費支出も急速に縮小している(4〜6期の1.1%減に続き1.7%もの減少)。
 この事態に直面しても、竹中大臣は「リスクはあるが、まだ(デフレ・スパイラルには)入っていない」(「朝日」2001年12月8日付)と強弁している。小泉総理にいたっては「だからこそ改革を断行」(「毎日」同日付)と叫ぶ始末である。日本経済の破綻を回避するためには、この危険な小泉内閣の「構造改革」を阻止することが先決である。
<第3の欠陥>
虚構の「セーフティネット」論
 第3の欠陥は、竹中「構造改革論」の前提となっている「セーフティネット」論がまったく虚構の話だということである。
 「構造改革」が失業や倒産の痛みをともなうことは、小泉総理も竹中大臣も認めている。それゆえ、彼らもセーフティネットすなわち新たな雇用創出の必要性にたびたび言及し、「雇用創出プラン」なるものを掲げてきた。
 昨年11月9日に内閣府が発表した「100万人雇用創出プラン」は、公的雇用や各種補助金事業などによって、3年間で約100万人分の雇用を創出するというものである。
 しかし、99年の小渕内閣のときに発表した「雇用創出70万人プラン」も、実績は30万人程度、目標の半分以下にとどまっている。坂口構成労働大臣は、この100万人雇用の実現可能性を問われ、「あくまで予算措置として用意した数字。このとおりになることは私もないと思う」と答えている(昨年11月15日、参院予算委員会)。しかも、その中心事業である公的雇用も、短期の臨時雇用であり、住宅ローンや家族をかかえて定職を求めている圧倒的多数の失業者のニーズに合わない文字通りの「ミスマッチ」である。新規雇用創出と言えるような中身ではない。
 小泉内閣は「骨太方針」を発表した昨年6月にも、今後5年間で530万人の雇用を創出するという計画を打ち出した。この「530万人プラン」の根拠の希薄さについては、すでに内閣府の政策統括官も認めている(昨年6月14日、参院財政金融委員会)。にもかかわらず、小泉総理や竹中大臣は、その後も国会やマスコミで「530万人の雇用を増やします」と言いふらし続けた(昨年の臨時国会では小泉総理が8回、竹中大臣が6回も発言)。
 昨年11月15日の参議院予算委員会で竹中大臣は、530万人雇用の信憑性をあらためて問われ「(530万人雇用は)あくまで潜在的需要であり、そのためには規制改革等々を行っていかなければいけない」「(セーフティネットを)国が無理やり用意するというのは、計画経済ならできるが資本主義経済ではできない」と述べ、あくまで「潜在的な」可能性にすぎないことを認めた。
 竹中「構造改革論」が言う雇用創出というのは、当面の「改革」の痛みをやわらげるためのセーフティネットを意味するものではない。それは「構造改革」によって供給側の力が強まれば、「潜在的な需要」がおこり、そのうち雇用も増えるかもしれないというただの仮説にすぎないのである。しかも、それは前述のように根拠に乏しい。
 実際にはどうなるかわからないこの程度の話を「セーフティネット」と大々的に宣伝し、リストラや失業に直面している人たちに「政府はそういうものを用意してくれているのか」と思わせようとするのは、詐欺にも等しい。国民を安心させるどころか、政府の信頼をいっそう失墜させ、かえって雇用不安をあおる結果となるだろう。
 もともと小泉内閣の雇用政策の基本は、リストラを推奨して雇用の流動化をすすめ、低賃金で解雇のしやすい、企業にとって都合のよい労働市場をつくりだそうということにある。この見せかけの「セーフティネット」論は、現在すさまじい勢いでおこなわれている大企業のリストラをやりやすくするための「仕掛け」の役割も果たしている。
 結局、小泉内閣の「セーフティネット」とは、そこにあるかと思ったら何もないバーチャルネット(虚構)である。したがって激烈な痛みだけが国民を直撃する。これでは、彼らの言う「成長」にたどりつく前に、日本経済はスパイラル的に悪化し、国民生活も破綻してしまうことは目に見えている。
* *
 以上、竹中「構造改革論」の3つの欠陥についてふれた。
 竹中大臣は「仮にあなたのシナリオどおりうまくいったとして、あと何年後に景気がよくなるのか」という問に対して、「はっきりと成果があらわれるまでは、やはり10年ぐらいの忍耐が必要でしょう」と答えた(昨年11月15日、参院予算委員会)。
 すでに10年以上も不況に耐えてきた国民にたいして「さらに10年、忍耐せよ」としか言えないこと自体、そもそも経済政策の責任者として失格であることを付け加えておきたい。
 いま小泉内閣がこんな危険な「構造改革」に固執しているのは、自民党政治の右往左往の結末である。
 自民党は、需要対策と言えばゼネコンむけ公共事業をばらまき、借金を膨らましただけで景気を回復することができなかった。その一方で、消費税を増税し、社会保障を改悪して消費を冷え込ませた。自分たちのやってきた需要対策がうまくいかなかったから、今度は供給側の対策だと言わんばかりに竹中「構造改革論」に飛びつく。過去の自民党政治への反省がひとかけらもないから、誤った需要対策のあとに誤った供給対策を繰り返しているだけのことである。もはや自民党も小泉内閣も、経済の舵取り能力を失っていると言わなければならない。
 竹中大臣はその著書『みんなの経済学』で、「日本国はつぶれてもソニーは生き残るでしょう」と述べている。彼の頭の中にあるのは、日本経済のゆくえより、多国籍大企業の国際競争力をどう強化するかということばかりかも知れない。
 本当に供給サイドの改革をめざすなら、大企業のことばかりでなく、日本経済をささえている中小企業をどう発展させるかを考えるべきである。雇用に関して言えば、まず無法なリストラを規制して、労働者が安心して働けるルールを確立することである。そして、財政を公共事業中心から国民生活重視の構造に切り換えていくことこそが、本当の改革であり、景気回復の道筋である。
*文中引用した国会答弁は、すべて大門の質問に答えたものである。
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