● ● ● ● 大門実紀史 Daimon Mikishi  ● ● ● ●

破綻から暴走に突き進む小泉「構造改革」(「前衛」2003年7号)
 小泉内閣が発足してからこの二年間で、日本経済はひたすら悪化した。
 五月十六日には、りそな銀行が自己資本不足におちいり、公的資金の注入によって、事実上、国有化されることになった。この間の「デフレ」の悪化と株価急落で経営体力が低下したところに、昨年十月に打ちだされた不良債権処理「加速策」による資産査定の「厳格化」がとどめを刺した。りそなグループのもともとの経営体力の弱さもあるが、経済を悪化させ、りそなを追い込んだのは小泉内閣の失政そのものであり、無理な「加速策」を押しつけて過小資本に転落する直接の引き金をひいたのも小泉内閣である。
 「改革なくして成長なし」と叫んだ小泉「構造改革」であるが、すでに理論的にも実践的にも破は綻たんし、・改革」をすすめればすすめるほど実体経済を破壊してしまうという自己矛盾におちいっている。
 ところが小泉内閣は、破綻をみとめ方向転換をはかるどころか、さらに経済危機を深める道に突き進んでいる。もはや経済政策の暴走というしかない。
一、日本経済の「構造問題」とは
 小泉内閣は、日本経済の「構造問題」を「改革」するとして出発した。そもそも日本経済がかかえる「構造問題」とは何なのか。
 図1は、政府が日本経済の「需給ギャップ」を試算したものである。
 「需給ギャップ」とは、実際の需要と経済の供給力(企業などのモノをつくる力)との乖かい離りのことをいう。・需給ギャップが大きい」というのは、失業者が多く、企業の機械・設備の稼働率が低い「不況」の状態をあらわし、反対に「需給ギャップが小さい」というのは、人手不足が問題となり、設備の稼動率も高い「好況」の状態をあらわす。政府の試算では、日本経済の需給ギャップをGDP(国内総生産)の五%程度、約二五兆円としているが、民間のシンクタンクの試算では三〇兆円、四〇兆円とみているところもある。いずれにせよ、現在の日本経済は需要と供給の間に大きなひらきがあり、これを埋めないかぎり景気は回復しない。
 なぜ、こんな大きな「需給ギャップ」が生じてしまったのだろうか。
 戦後、日本の大企業は「低賃金・低コスト構造」を武器に、輸出を拡大し続けてきた。・高度成長期」には経済全体のパイが大きくなるなか、国民生活もしだいに向上するという側面があった。しかし、七〇年代の二度の石油ショックをへて「低成長期」に移行し、日本の経済構造は大きく変化していく。
 とくに八五年の「プラザ合意」以降、アメリカは日本の輸出を抑え込もうとして、激しい「円高」攻勢をしかけてきた。為替レートを「円高」に誘導すれば、アメリカ国内で日本製品の価格が上昇し、売れにくくなる。輸入を規制したのと同じ効果がえられるからである。
 しかし、・円高」攻勢をうけるたびに、日本の大企業は、人減らしと賃金の抑制による徹底したコスト削減をすすめ、輸出価格を押し下げ、たちまち国際競争力を回復していった。
 ところが大企業は、競争力を回復し、空前の利益をだすようになっても、・グローバル化」や「大競争時代」を口実に、それを設備投資につぎこむ(資本蓄積)だけで、賃金の引き上げや雇用の拡大に結びつけようとはしなくなった。さらに八〇年代後半のバブル経済が、企業の過剰投資にいっそう拍車をかけた。
 バブルの崩壊による資産価格の下落は、蓄積してきた過剰資本を不良債権化させていった。また、バブル崩壊後は、企業の設備投資が若干減少した分を公共投資が埋めるかたちで、日本全体の異常な資本蓄積はつづいた(注1)。
 一方、九〇年代の十年間をつうじて、国民一人当たりGDPは六・六%伸びているが、一人当たりの所得は四・六%に抑えられた。公共投資の拡大は、政府の予算のうえでは社会保障の切り下げと表裏一体の関係にあり、それが国民の将来不安を広げ、さらに消費を抑える大きな原因になった。これらのことが家計消費を萎い縮しゆくさせ、国内需要と大企業の生産力との乖離、すなわち「需給ギャップ」を広げてきた。
 いわゆる「産業の空洞化」も「需給ギャップ」を拡大した。大企業は国内の「コスト削減」だけでなく、生産設備を賃金の安い海外へ移転させることで国際競争力を維持してきた。安い逆輸入品の増加が国内産業に打撃を与えたことも相まって、国内の雇用は減少し、中小企業を整理、淘とう汰たに追い込んでいる。・産業の空洞化」による国内設備の過剰化と需要の減退が、いっそう「需給ギャップ」を広げることになった(注2)。
 九〇年代に始まった現在の長期不況は、たんに不況と好況が繰り返される循環的なものではなく、資本蓄積優先、需要の抑え込み政策が生んだ構造的な不況である。

二、小泉「構造改革」論の破綻
  ・・「あしたの経済学」に明日はない
 小泉「構造改革」は、現在の「需給ギャップ」を、需要面を軽視して供給面からだけ一面的にとらえ、供給側の過剰部分を不良債権処理をつうじて強制的に「破壊」しようとするものである。・構造改革」論の理論的な誤りについては、本誌昨年二月号の拙稿「竹中構造改革論の三つの欠陥」で指摘した。その後の経過は、机上の誤りを実践でしめす結果となった。
 ・創造的破壊」論の破綻
 二年前の「骨太方針」では、・不良債権処理をすすめれば、生産性の低い分野が淘汰され、生産性の高い分野へ、資源が移動し、経済は発展する」というシナリオを描き、これを「創造的破壊」とよんだ。
 しかし、不良債権をいくら処理しても、資源(人、モノ、資金)の新しい分野への移動などおこらず、倒産、失業が増えてますます景気が悪くなっただけである。結局、不良債権の新規発生も一向にとまらず、不良債権残高がほとんど減らないという状況がつづいている。
 それは、不良債権処理「加速」策(・竹中プラン・)そのものが、銀行の貸し出しを減少させ、企業の資金調達を困難にし、新たな不良債権を増やすという自己矛盾をかかえているからである。
 図2は、銀行の自己資本比率をあらわす式である。自己資本比率とは、自己資本(資本金、法定準備金など)が総資産(貸出金、債券など)のうちどれくらいを占めるかをしめすもので、国際決済銀行(BIS)の基準では、国際業務をいとなむ銀行は、八%以上の自己資本比率を維持するよう求めている。さらに昨年の「竹中プラン」は、この自己資本の査定について、厳しい基準を要求している。たとえば、・税金くり延べ資産」の算入の厳格化は、銀行が不良債権を処理した際の損失を、将来の所得から差し引けるとして、その全額を資産に計上し、自己資本に算入しているものを減額させようというものである。りそな銀行はこのために過小資本に追いこまれた。
 大銀行にとってこの八%の目標をクリアーすることは、至上命題である(金融庁は国内で営業する金融機関には四%以上の自己資本比率の維持を課している)。もし八%を割るようなことになれば、・竹中プラン」で、容赦なく公的資金を注入され「特別支援銀行」(事実上の国有化)にされてしまう。
 ところが、銀行が不良債権処理を一気に加速しようとすると、巨額の処理損がでて利益が食いつぶされ、自己資本をいっぺんに減少させる。不良債権処理を急ぎながら自己資本比率を維持するには、金利を引き上げて利益を増やし処理損を吸収するか、増資をして分子の自己資本を増やすか、あるいは分母の総資産そのものを圧縮するしか方法はない。
 増資をするといっても、銀行の株価が地に落ちているもとでは、系列の企業や取引先に増資を引き受けてもらうか、この際、金利の高い外資の増資を受け入れることくらいしか手立てはなく、これも限界がある。この三月決算にむけて大銀行はなりふりかまわぬ増資に走ったが、かえってそれが銀行の自己資本への不信感をまねき、株価を急落させた。
 結局、不良債権処理を強行しながら自己資本比率を高めるには、総資産を減らす、すなわち企業への貸出金を減らすしかない。事実、不良債権処理が大命題になったこの二年間で、銀行の貸し出しは、大銀行だけで三十六兆円も減らしている。
 骨太方針のいう「資金の移動」どころか、不良債権処理の「加速」そのものが、資金の必要な企業への融資をシャットアウトし、それがまた経済全体を冷え込ませ、新たな不良債権を生んでいるのである。この二年間ではっきりしたのは、不良債権処理を急げば市中にお金がまわるということではなく、無理な処理を急ぐから、かえってお金がまわらなくなったということである。
 「人(労働)、モノ(設備)の移動」はどうだろうか。
 不良債権処理で一生懸命、企業(とくに中小企業)をつぶしても、それに見合う新しい企業も生まれず、新規雇用も増えていない。小泉「構造改革」が期待をかけたサービス業では、逆に新規の雇用増は鈍化してしまった。
 小泉首相や竹中大臣が、去年あたりまで胸をはって約束していた「五三〇万人雇用創出プラン」はどうなったのか。
 この「プラン」は、サービス業の雇用が過去十年間で五〇〇万人伸びたので、今後は「規制緩和」を急ぎ、その半分の五年間で五三〇万人増やす、つまり一年で一〇〇万人以上雇用を増やすというものだった。しかし、この二年間でサービス業の雇用はたった六十四万人しか増えていない(総務省「労働力調査・)。このままいけば、五年間で五三〇万人どころか二〇〇万人がいいところで、従来の増加率より悪くなる可能性の方が高い。
 そもそも、サービス業の雇用の伸びは、所得の伸びに比例する。産業構造の変遷をあらわす「ペティ=クラークの法則」によれば、所得水準の上昇につれて、第一次産業(農林水産業)から、第二次産業(鉱業、製造業、建設業)へ、第二次産業から第三次産業(サービス業など)へと、産業構造の比重がシフトし、労働力や設備投資も移動するといわれている。家計部門の所得水準が高まれば、通信、医療・保険、娯楽などといったサービス消費のウェイトが高まり、その需要増に応じて人もモノも移動するからである。
 ところが、反対に家計部門の所得が低下し続けるようになれば、当然、サービス消費の伸びも鈍化し、したがって雇用の伸びも鈍化するのである。今のように所得が低下しているもとで、今までの倍のスピードでサービス業の雇用が増えるはずがない。
 また、いくら「規制緩和」をやっても、不況で民間消費が低迷するもとでは、小さなパイのなかで競争が激化し、かえって倒産、廃業が増加し、低賃金化がすすむだけである。
 結局、小泉内閣がこの二年間やってきたのは、・創造的破壊」ではなく「創造なき破壊」でしかない。
 ・潜在的需要・開花」論の破綻
 「骨太方針」は「『構造改革』は経済の潜在的供給能力を高め、成長分野における潜在的需要を開花させて、新しい民間の消費を生みだす」と主張した。つまり、企業がモノをつくる力(潜在的供給能力)を高めて、新たなサービスや商品を開発すれば、眠っている消費意欲(潜在的需要)を開花させ、消費が伸びるということである。
 この話は、マクロの問題を個別企業の努力の問題にすりかえる手法としてよく使われている。
 例えば、カメラ付きの携帯電話が発売され爆発的に売れたことを例に、・だから個々の企業が努力して商品開発をすれば、潜在的需要を掘りおこすことができる・、経済再生のためには「企業の努力こそ大事である」という類の話である。
 不況下でも、・『ある会社』が『ある魅力的な商品』を開発し売りだせば、それを欲しいと思った『ある消費者』が買う」ということはおこる。しかし、それで需要全体が回復するわけではない。ある個別の商品が売れるだけのことである。この数年、携帯電話やインターネットが飛躍的に普及したが、家計消費全体が伸びているわけではない。総務省「家計調査」(二〇〇二年・年報)でみても、通信費は前年比一一・六%も増加しているが、家計消費全体はマイナス二・七%の落ち込みである。通信費が増えた分以上にその他の支出が節約されている、つまり「支出の振りかえ」がおきているのである。雇用不安や収入の減少が原因で消費全体が低迷するもとでは、ある個別の新商品が一部の「潜在的需要」を開花させることはあっても、消費全体は回復しない。
 企業が商品開発の努力をするのは、経済の活性化にとって大変、重要なことである。しかし、政府がみずからの経済失政を、企業の努力の問題にすりかえ、国民をあざむくことは許されない。
 ・あしたの経済学」に明日はない
 竹中大臣は、今年一月に『あしたの経済学』という本をだした。小泉「構造改革」への期待をつなぎとめようと必死である。中身はいちいち取り上げる気もしないが、要するに全体が「創造的破壊」論と「潜在的需要・開花」論でつらぬかれている。
 そもそも、日本経済の「構造問題」にたいする診断と処方箋せんの両方がまちがっている。現在の「需給ギャップ」を需要面からの分析を軽視し、供給側の過剰部分を強制的に「破壊」したうえで、供給側が新たに力をつければ、あとは何とかなるという理屈である。アメリカのレーガン時代に端を発する「供給側(サプライサイド)の経済学」がその根底にある。いまや「サプライサイダー」の日本代表である竹中平蔵氏だが、経済は需要と供給が相互にからみあって発展するという、当たり前の視点が欠如している。
 日本経済の構造的な「需給ギャップ」の原因は、先にのべたように資本の過剰蓄積と、需要の抑え込み策の両面に原因がある。
 ところが、自民党政治は、今まで一貫して需要の最大項目である国民の家計消費を痛めつけてきた。この数年、消費税の増税や社会保障の連続改悪、さらには大企業のリストラを応援して雇用不安と賃金の低下をまねいた。そのうえ、医療費の三割自己負担など四兆円以上の負担増を国民に押しつけようというのだから、需要が回復するわけがない。
 自民党はこの十年、需要対策といえば、ゼネコンむけの大型公共事業のばらまきばかりに集中してきた。・需給ギャップ」を埋めるためとしておこなった公共事業の積み増しは、九二年三月から二〇〇二年十二月までで、約八〇兆円にものぼる。しかし「ギャップ」は埋まらず、景気も一向に回復せず、ただただ国と地方の借金を膨らまし、財政を破綻させただけである。
 小泉首相は、今まで自分たちがおこなってきた公共事業中心の需要対策に失敗し、また財政的にも限界に突き当たったため、今度は供給対策だと言わんばかりに、竹中流の「構造改革」論に飛びついた。しかも、その供給対策は、強引に過剰部分を「破壊」するという危険な対策である(実際の中身は大企業を救済し、中小企業をつぶすもの)。誤った需要対策のあとに、誤った供給対策を繰り返しているにすぎない。
 いま本当に必要な需要対策とは、国民の家計をあたためることによって内需の拡大をはかることである。資本の過剰蓄積の問題も、単純な「破壊」論ではかえって悪循環を引きおこす。需要拡大との好循環のなかで「更新」をすすめるしか解消の方法がないのは、もはや明らかである。
 『あしたの経済学』は、・規制緩和」を「みんながチャレンジできる社会」とか、・累進税率の緩和」を「頑張った人にやさしい税制」とか竹中流のソフトな言いまわしを使っているが、要するに、十九世紀の弱肉強食型の資本主義への逆もどりを志向するものでしかない。
 十九世紀の資本主義にもどりたいなら、・あしたの経済学」というより「むかしの経済学」という名前にすべきであった。・あしたの経済学」は、けっして国民のくらしに明るい明日をもたらすものではない。・あした」を「明日」という字にできなかったのは、少しはためらいがあったのだろうか。

三、破綻から暴走へ
 小泉内閣は、みずから不況とデフレを悪化させ、株価をどん底にしておいて、今度はその対策と称して、なりふりかまわず「禁じ手」と「公的支援」を連発し、暴走をはじめている。
 「マッチポンプ」とはこのことである。しかもこの「ポンプ」は、火を消すどころか、経済危機に油を注いで日本中を焼け野原にしてしまう危険性がある。
 ・インフレ・ターゲット」論への傾斜
 「インフレ・ターゲット」論とは、日銀が「物価上昇」目標とその達成期限をきめ、株や国債、不動産証券などを直接、大量に買えば、貨幣の価値が下がってインフレになり、・デフレ」から脱出できるというものである。
 「インフレ・ターゲット」論者は、・インフレにすれば、企業の債務負担と実質賃金が下がり、利潤率が上がるから、投資が促進されるはずだ」と主張する。
 しかし、いくら無理やりインフレにして、企業の負担を軽減し、利潤率を高めても、需要全体が低迷するもとでは、投資全体は伸びない。ここにも、供給サイドだけから物事をとらえる「サプライサイダー」たちの一面性があらわれている。
 現在のデフレは単純な貨幣現象ではない。その根本原因は、二〇〇一年度版「経済財政白書」もみとめているように、物価下落と需要縮小の悪循環にある。
 つまり、・不況でモノが売れない」↓「物価下落」↓「企業の売上・収益が減少」↓「雇用・賃金の調整」↓「消費購買力が縮小」↓「モノが売れない」↓……というサイクルにはまりこんでいるのである。この負の連鎖を、・消費購買力の向上」↓「モノが売れる」↓その需給関係の結果として物価の下落が止まる、というプラスの連鎖に切り換えていくしか、根本的な「デフレ」克服の道はない。
 今日の「デフレ」の原因が需要不足にあることを考えれば、かりに無理やりインフレを実現したとしても、インフレによる実質賃金の引き下げが、よりいっそう需要の落ちこみをもたらし、インフレと不況が並存する「スタグフレーション」におちいりかねない。
 もっとも、・インフレ・ターゲット」論者のいうように、日銀が物価目標をきめ、国債や株の購入を増やしても、実体経済がよくならないもとで、インフレを引きおこせるかどうかは疑問である。万一、日銀が超大規模に市場から株や土地を買っても、貨幣の信用力が失われ、物価より先に金利が高騰してしまい、国債の暴落をまねいて、財政と経済の両面でパニックを引きおこす危険性のほうが高い。
 しかし、この荒こう唐とう無む稽けいな「インフレ・ターゲット」論と、政府、日銀のすすめてきた「量的緩和」政策とは、本質的な考え方において何も変わらない。
 日銀の「量的緩和」政策が「インフレ・ターゲット」論と違う点は、インフレ目標の具体的な数値と達成期限をしめしていないこと、株や国債、不動産証券を直接、超大量に買うことの効果に確信がもてず、まだ踏ん切りがつかないということだけである(注3)。
 そもそも、通貨供給量は、市中の資金需要を反映して増減するものである。投資と生産増にともなう資金需要が先にあって、その結果として、通貨供給量は増加するにすぎない。ところが両者とも、日銀が資金の供給量を増やせば、(いずれ)通貨供給量も増加するはずだという逆立ちした考え方にたっている。ここにも「サプライサイダー」たちのおちいる一面性があらわれている。
 基本的な考え方が似たり寄ったりなので、結局、今まで日銀は与党のヒステリックな「インフレ・ターゲット」論の圧力をうけるたびに、何らかのかたちでそれを受け入れてきた。
 「インフレ目標」についても、二〇〇一年三月に与党の圧力で「量的緩和」に踏みだした際、・消費者物価指数の前年比上昇率がゼロ以上になるまで(量的緩和を)継続する」という「物価目標」を打ちだした。今年五月八日に与党がまとめた「当面の緊急金融・経済対策」でも、物価安定の数値目標(一〜二%)の導入が盛りこまれている。日銀のなかでも、厳格な期限は定めず、望ましい物価上昇率だけをしめす「インフレ参照値」の導入を検討している。
 日銀当座預金の残高目標も、二〇〇一年三月の四兆円からつぎつぎと引き上げ、今年五月二十日には二十七兆円から三十兆円の範囲にまで拡大している。さらに、昨年九月には、とうとう銀行保有株の買い入れを決断、その買い入れ上限も、当初は二兆円だったものを今年三月に三兆円に引き上げた。日銀はずるずると「インフレ・ターゲット」論の方向に引きずられてきたのである。
 与党は「インフレ・ターゲット」論を前面に日銀に圧力をかけつづけている。小泉首相も「インフレ・ターゲット」論には「慎重姿勢」といいながら、日銀副総裁に極端な「インフレ・ターゲット」論者である岩田一政・前内閣府政策統括官を送りこんだ。小泉内閣が、既成事実をかさねながら、なしくずし的に「インフレ・ターゲット」論の方向に傾斜を強めているのは、きわめて危険なことである。
 しかし、小泉内閣が「インフレ・ターゲット」論に傾斜するのは、デフレ克服のためというより、当面の「国債消化」や「株価対策」に日銀を引き込もうとしているのではないか、とも考えられる。
 日本は、大量の国債を発行しつづけなければならない借金づけの状態にある。国債の消化をスムーズにすすめるためには、引き受け手が必要である。もし、国債が市場で消化できる限度をこえれば、国債の市場価格は下落し、その結果、国債利回りと市場金利が上昇し、経済に大きな影響を与える。
 今まで、銀行や生命保険会社などの機関投資家が、国債の最大の引き受け手だったが、国債の利回りは過去最低を更新し続けていることから、この間、生保などはリスクはあっても利回りの高い社債などへの投資を増やしている。この先、もし機関投資家が国債離れをおこしたとき、その穴埋めとして期待をかけられているのが日銀の国債購入の拡大である。
 実際、日銀の国債保有高は、九七年度末の五五兆円から、二〇〇三年度末の八九兆円に六〇%も増えている。国債価格を維持するため、日銀の国債購入に今後ますます圧力が加えられるのはまちがいない。与党の「当面の緊急金融・経済対策」でも、日銀の長期国債の買い切りオペの増額を求めている。もはや、日銀による通貨の供給というより、その手法である国債購入の量が焦点になっているのである。
 日銀の銀行保有株の購入にも圧力が高まっている。日銀の銀行保有株の買い取りは、昨年十二月から今年五月はじめのわずか四カ月あまりで一・三兆円に達した。与党の「当面の緊急金融・経済対策」では、日銀の買い取り額を三兆円から、さらに四兆円に引き上げ、買い取り対象も銀行株そのものに拡大するよう求めている。株価の低迷が続けば、日銀の株買い取りにたいする圧力は高まりこそすれ低下することはない。
 日銀は、とうとう法定準備金の積立率の引き上げを決定した。あいつぐ「量的緩和」による日銀自身の自己資本比率の低下(今年三月決算で日銀自身が経営健全度の目安とする八%を割り込み、七・六%になった)を補うためと、国債や株の購入にともなう損失の発生にそなえるためである。
 法定準備金の積立率の引き上げは、今まで国庫に納付してきたお金を減らす、すなわち国の収入を減らすことになる。現在、日銀法では、法定準備金の積み立て率は、基本的に保有する国債の利息や通貨発行益などからあがる利益の五%と定められ、残りの利益は日銀納付金として、国庫におさめる規定となっている。ただし財務省が認可すれば五%を引き上げることができる。日銀は積立率の一五%への引き上げを申請し、五月二十二日、財務省はこれを認可した。二〇〇二年度当初予算で予定している納付金は五六七〇億円だが、これによって約六〇〇億円の国の収入が減ることになり、そのツケは国民にまわされる。財務省はこれを了承する方針である。日銀の財政基盤を強化させたうえ、さらなる「量的緩和」政策をとらせる狙いがあるものと思われる。今後、ETF(株価指数連動型上場投資信託)やREIT(会社型不動産投資信託)の日銀買い入れなど新たな圧力が高まるのは必至である。
 小泉内閣が「量的緩和」政策を続ける背景に、アメリカの要請があることも見逃せない。この間、アメリカや事実上アメリカの出先機関になっているIMF(国際通貨基金)が、日本にたいし一層の金融緩和を求めつづけてきた(三月の黒田東彦内閣官房参与とテーラー米財務次官、ケーラーIMF専務理事との会談など)。
 アメリカも景気の低迷から、金利の引き下げ策を取らざるをえなくなっている。ブッシュ政権がのぞんでいるのは、アメリカの相対的な金利高を維持し、ひきつづき日本マネーをアメリカに引き込むための、日本の「量的緩和」の継続・拡大である(注4)。
 ・ドル買い」のもたらすもの
 さらにデフレ克服のための「円安」誘導論が台頭しつつあるが、これも注意を要する。
 昨年五月、米プリンストン大学教授のラース・スベンソン教授が「日本経済回復への提言」をおこなった。その提言とは、@物価水準目標を設定する、A一時的に円とドルの為替レートを、一ドル=一五〇円程度に固定し、物価水準目標に達するまで「固定相場」をつづけるというものである。物価目標と「円安」誘導を組み合わせれば、デフレを克服できると主張する。
 日本のエコノミストのなかでも、・円安」によって投資を呼びこんだり、輸出企業の価格競争力を取り戻し、中国などからの安い輸入品の急増を抑えれば、デフレ克服につながるという意見も出はじめている。実際、政府はこの間、・円高」阻止を理由に、頻繁に「円売り・ドル買い」介入をおこなっている。
 八〇年代からの貿易黒字は日本のドル保有をふくらませ、さらに「円高」阻止のための「ドル買い」がそれを加速した。財務省資料によれば、九五年二月から二〇〇二年末までの「ドル買い」介入は、じつに九九回、金額にして約三〇兆円にのぼる。政府・日銀は「ドル買い」介入でえたドルで、おもに米国債を購入し、残りを民間金融機関や外国中央銀行などに預金をしてきた(外貨準備)。いまや日本は世界最大の外貨保有国であり、しかも、外貨準備の大半を米国債で保有している。
 しかし、巨額のドルによる外貨準備は危険をともなう。
 政府は、・ドル買い」介入をするために、民間金融機関からドルを買い、その分の円を支払う。その円資金は、政府が外国為替資金証券(通称「為ため券けん・)を発行して、市場から調達する。つまり、外貨準備の運用はドル、調達は円だから、ドル安になれば、為替の評価損が発生する。外国為替資金特別会計の「外国為替等繰越損」をみると、二〇〇一年度決算で一〇兆四六一三億円の評価損が計上されている(財務省提出資料)。これが今までドル安で日本がこうむった為替の評価損に該当する。
 一生懸命、・円高」阻止のためにドルを買い、そのドルの下落を防ぐためにまたドルを買わなければならないという「くびき」のなかで、これだけの損失を生んでいるのである。もしもドルの国際的信用がさらに失墜し、ドルの急落という事態になれば、日本の外貨準備が大幅に目減りすることは避けられず、いっそう大きな国民的損失をうむことになりかねない。・デフレ」克服のための「円安」誘導策とは、さらに大量の「円売り・ドル買い」介入をおこなうことを意味し、それは大きな為替リスクをともなうものであることを認識すべきである。
 同時に、それは米国債の購入をいっそう増やすことと一体である。この点では、日銀の米国債の購入も視野に入れられるようになってきた。
 日銀の春英彦審議委員は、五月八日の記者会見で「(外債の購入は)政府の為替介入政策との関係をどう整理するかという問題がある。政府との調整ができて、外債についても日銀の自主的な金融調節手段としての売買が可能であれば、国債の次に考えてもいいものではないか」とのべている。政府の「円売り・ドル買い」介入との連携で、日銀が米国債の購入を検討することもありうることを示唆した発言である。
 過度の「円高」は是正される必要があるが、小手先の為替政策では「デフレ」を解消することはできない。結局、アメリカの財政を支えるために、日銀資金までが動員されるだけである。
 ヨーロッパ諸国が米国債の購入から手を引きつつあるなか、日本だけが一生懸命、米国債の購入を増やし、ブッシュ政権の軍備拡大とイラク攻撃を財政的に支えてきた(注4)。世界の平和をねがい、アメリカの軍事的な世界覇権、単独行動の暴走を許さない立場からも、ドル買いの「くびき」から脱却することは急務になっている。
 ・公的資金」の大盤ぶるまい
 現行の銀行支援の七〇兆円の公的資金投入ワクは、今年五月七日現在で、すでに三〇兆五二〇〇億円が使われている。このうち、返ってこない公的資金、すなわち国民負担になった部分は、約十一兆三千億円にのぼる。しかも公的資金を受けた大手七行は、今年三月期に、流通やゼネコンなどの債務者企業にたいして、約二兆円もの債権放棄、金融支援をおこなった。国民のお金が、ゼネコンなどの救済にまわされたことになる。
 さらに、りそな銀行グループへの公的資金注入(二兆円規模といわれている)にみられるように、小泉内閣自身がデフレと株価を悪化させたあげく、・竹中プラン」で銀行を自己資本不足に追い込んでいるようでは、この先、いくつの銀行が公的資金を注入され国有化されるかわかったものではない。なぜ、竹中経済政策の破綻と暴走のために国民の税金が湯水のように注がれねばならないのか。
 さらに小泉内閣は、株価対策にも公的資金の導入をすすめている。
 その第一が、昨年一月に設立された「銀行保有株式取得機構」である。この「機構」は、銀行が自己資本額をこえる株式を保有することを制限し、そのために銀行が放出する株を買い取るためのもので、・機構」が銀行から買い取った株に損失がでた場合は、その穴埋めのために公的資金を投入するしくみになっている。
 しかし、今年四月末現在の買い取り総額は、約二千二百億円にとどまっている(買い取り予定額二兆円)。日銀への銀行保有株の売却(一・三兆円)にくらべて、この「機構」への売却がすすまないのは、売却時に時価の八%の拠出金を「機構」に支払う必要があることと、売却した株が自己資本比率の分母(資産総額)からはずせない、つまり「機構」に株を売っても自己資本比率が改善しないことにある。
 そのため、政府、与党は、銀行が「機構」に株を売りやすいように八%の拠出金を廃止し、さらに買い取り期間も二年程度延長する案を今国会に提出する予定である。銀行の拠出金は、株価下落のリスクにそなえるためのものであり、その減額は、国民の負担の増加に直結することになる。
 さらに与党の「当面の緊急金融・経済対策」では、銀行、証券会社の出資で新たな「株買い入れ機関」の設立まで提唱している。これは銀行、証券会社が出資して「機構」をつくり、そこに日銀が融資をし、そのお金で市場から一〇兆円規模で低迷する銘柄の株を買いつけるというものである。現時点では、・機構」案の詳細はあきらかになっていないが、公的支援の新たなしくみを画策しているのはまちがいない。
 このほか、郵便貯金、簡易保険、年金資金による株式運用額の拡大も、与党三党の「緊急株価対策」に盛りこまれている。年金資金だけでも、すでに小泉内閣になって三兆円をこす損失をだしているのに、いっそう国民の財産をリスクの高い株式投資につぎこもうとすることは、けっして許されるものではない。
 また、銀行から不良債権を買い取る「産業再生機構」にも、政府は十兆円までの債務保証をしている。企業の「再生」に失敗したり、債務免除などで買い取り価格より損失がでれば、結局、国民の税金投入につながる。
 さらに「生命保険セーフティネット」は、生命保険会社の破綻処理にそなえ、・生命保険契約者保護機構」にたいし四千億円の税金投入ワクをもうけるもので、二〇〇二年度までだったスキームを、さらに二〇〇五年度まで延長することが、今年四月の生命保険業法「改正」できめられた。
 小泉内閣がすすめているのは、まさに国民負担のオンパレードである。
 四月二十四日の参院財政・金融委員会で、竹中大臣に「この間、公的資金、税金投入のしくみがどんどん出されてきている。もう感覚がマヒしているのではないか」とただした。
 竹中大臣は、・ご指摘のように、何でもかんでも安易に公的な負担を求めるということは、これは政策のあり方、むしろ、さらに言えば、社会のあり方としてこれはもう控えなければいけない重要なポイントであろうかと思います」と答えた。
 さらに「こんなことばかり続けていては、大臣のよく言う『市場の信頼』はいつまでたっても得られないのではないか」と聞くと、竹中大臣は「過度の政府の介入はモラルハザードを招く。本当に自己責任の原則を確立して、健全な競争的な市場で各経営主体にしっかりとやっていただく、これがやはり私たちの社会の大原則、もう動かせない基準であろうと思います」と答弁した。
 これだけ言うこととやることの違う大臣もめずらしい。もともと竹中大臣は、護送船団方式を批判し、すべては市場競争にまかせればうまくいくと主張してきた。・構造改革」の理論的、実践的破綻から、それをつくろうための暴走政策に突き進むなかで、彼の自己矛盾は深まるばかりである。
 
(注1) 日本の資本の過剰蓄積については、工藤晃氏の論文「今日の経済情勢を考える」(『経済』二〇〇二年十一月号)および、橋本正二郎氏の論文「危険な段階にある日本経済をどうみるか」(『前衛』二〇〇三年二月号)が詳しい。
(注2) ・産業の空洞化」と過剰資本の関係については、二宮厚美神戸大学教授の『構造改革とデフレ不況』(萌文社)が詳しい。
(注3) この点についての福井日銀総裁の答弁は、四月二十二日、参議院財政・金融委員会の大門質問会議録をご参照いただきたい(参議院ホームページ)。
(注4) 日米資金循環のゆがみについては、『経済』二〇〇三年二月号・拙稿「属国ニッポン経済版をゆく小泉内閣」をご参照いただければ幸いです。
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