● ● ● ● 大門実紀史 Daimon Mikishi  ● ● ● ●

対論
「【対談】日本経済の健全な発展への道(「前衛2010年4月号」)」
●「構造改革」から「ルールある経済社会」への転換
山家 悠紀夫(暮らしと経済研究室主宰、元神戸大学教授)
大門 実紀史(日本共産党参議院議員)

「構造改革」が経済のあり方をゆがめた大企業に貯めこまれたものが社会に還元されない
民主党政権の経済政策をどう見るか。「構造改革」のゆきすぎ是正はあるが、それからの方向転換がない
日本経済の健全な発展をはかるために何が必要か

 編集部 本日は、いち早く九〇年代半ばから規制緩和や「構造改革」の問題点を指摘し、経済危機からの脱出の道を提示してこられた山家悠紀夫さんと、日本共産党の参議院議員として、この九年間、雇用、中小企業問題などで小泉・竹中「構造改革」に対して鋭く論戦を挑んできた大門実紀史さんに、今日の深刻化する日本経済と国民の暮らしの苦難の打開の方策と、日本経済の健全な発展の道筋について、対談していただきます。

 日本経済の今日の局面をどう見るか、民主党政権の経済政策をどう見るか、中長期的に日本経済の健全な発展をどうはかるか、の三つの柱で進めたいと思います。最初に山家さんから口火を切っていただけますか。

「構造改革」が経済のあり方をゆがめた大企業に貯めこまれたものが社会に還元されない

「構造改革」がもたらした経済のゆがみ

 山家 まず景気の現状を見ますと、大変な不景気です。鉱工業生産もGDP(国内総生産)も戦後最大の落ち込みとなっています。鉱工業生産の水準は二〇〇八年四?六月期が最近のピークでしたが、二〇〇九年一?三月期にはそこから三〇%以上落ち込みました。実質GDPも最近のピーク(二〇〇八年一?三月期)に比べ、二〇〇九年一?三月期は九%近く落ち込みました。いま景気の持ち直しが言われていて、統計上は確かにGDPは二〇〇九年四?六月期以降プラス成長になり、鉱工業生産も増え始めていますが、二つ問題があります。
 一つは、水準がまだきわめて低いことです。水面下はるか下の方で、ちょっと上がったぐらいです。もう一つは、家計所得が減り続けており、GDPがこの先もう一回落ちる懸念がかなりあることです。今は、海外の景気がよくなって輸出が増えてきたこと、公共投資やエコポイントで家電・自動車を買わせる政策の効果が出ていますが、これから先は消費が落ちる力の方が強く効いてくるのではないかと懸念されます。景気は厳しい状況が続く、あるいはもっと厳しくなると思います。政府の経済見通しでも、二〇一〇年度は、実質一・四%の成長です。二〇〇八年度三・七%のマイナス成長、二〇〇九年度はそこからさらに二・六%のマイナス成長(政府の実績見込み)の後の一・四のプラス成長ですから、二〇一〇年度いっぱい厳しい状況が続くということです。
 問題は、なぜこうなったかということです。きっかけはアメリカ発のサブプライム問題であり、リーマンショックですが、日本のほうに大きな問題があります。たとえて言えば、アメリカから大津波がやってきた。ところが、日本はこの十年間に防波堤が非常に低くなっていたということで、これが第一の問題です。津波ががっーと入ってくる状況になっていたのです。第二は、波打ち際に住んでいる人が大変に増えていたということ。たちまちに被害を受ける人がいっぱいいたことです。そして、第三の問題は、この間に避難場所がどんどん閉鎖されていたということです。被害を受けた人の逃げ場がなくなっていたということです。この三つの大きな変化が起こっていたために、アメリカからの津波、外からの衝撃に抵抗する力がきわめて弱くなっていたのです。
 具体的に言いますと、第一は「構造改革」のもとで国内需要がまったく伸びない経済になっていたことです。家計所得は、九八年以降、橋本内閣の頃から減る一方です。そのため消費が伸びない。この傾向は小泉内閣のもとでいっそう顕著になりました。国内の需要がまったく増えないで、輸出依存型の経済になっていた。そこにアメリカをはじめとする海外景気の悪化です。輸出が大幅に減少し、それとともに国内景気がたちまち悪くなった。防波堤が低くなっていた、ということです。第二は、この十年ほどの間に格差が拡大し、貧しい人がたいへん増えていた、また、非正規の社員、不安定な就労状態の人が増えていて、そうした人たちが派遣切りや雇い止めにあって、たちまち生活に困る、蓄えもないし、寮や社宅を追い出されたら住む場所もない人が大量に存在していたことです。津波が来たらひとたまりもない、海辺に住む人が増えていた、ということです。第三は、社会保障が、この間、貧弱なものにされてしまい、失業しても雇用保険をろくに受けられない人が山ほどいる、生活保護も受けにくい、という状況がつくり出されていたことです。たいへんな状況になっています。

暮らしを守ることを最優先にすることが課題

 山家 そうした状況をつくり出したのが「構造改革」だと思います。そんな状況のもとで、どうしたらいいか。今の需給ギャップ(供給能力と需要水準との差)は三十五兆円とか四十兆円と推定されています。いくら景気対策をやっても、そう簡単に景気はよくならない。本格回復までには相当な時間がかかると覚悟しなければいけないと思います。ですから、景気をよくするというがんばりよりも、景気が悪いことを前提に、景気が悪くても暮らしの方は大丈夫という政策をちゃんとやっていくことが今の政権の課題ではないかと思います。すなわち失業して生活に困っている人や病気の人、住まいのない人などにきちんと手当をして、不景気が長期化しても暮らしが成り立つような政策を打ち出すことです。
 もう一つは、そもそもの問題に手をつけることです。貧困者が多い、不安定就業の人が多い、社会保障が貧弱であるというのを直す政策をきちんと打っていく。それは当面の景気回復にすぐには役に立たなくても、長期的には役に立つのです。そういう二つの政策が必要です。繰り返して言うと、景気が悪くても暮らしをちゃんと守る政策と、中長期的にみて日本経済を再生していく政策を打つ、それがいまの政権の政策課題ではないかと思います。

「ルールなき資本主義」がもたらした経済危機

 大門 私も山家さんの言われるような二つの政策が必要だと思います。第一に、今日明日、生きるか死ぬかという状態に追い込まれている人たちを救うことです。
 昨年の国会では、派遣切りにあった青年が、さらに大企業の「貧困ビジネス」に食いものにされた事例を取り上げました。職も住まいも失ったあげく、国から半年分の生活費とアパートの入居費、家賃を借りて職探しを始めたが、半年経っても仕事が見つからない。残ったのは借金だけです。しかもアパートを貸した大手不動産会社は、先払いで家賃を受けとり、最初から半年で追い出すシステムをとっていました。「貧困ビジネス」そのものです。その青年は、借金を抱えまた路頭に放り出され、自殺を考えていたときに不幸中の幸いで、共産党の市議に相談する機会にめぐりあいました。現在は生活保護を受けながら、仕事さがしをしています。青年たちをそこまで追いこみ、食いものにする日本の資本主義の貪欲さに腹が立ちました。
 職も住まいも一遍に失うことなどない社会、失業しても安心して失業給付を受けられる社会、生活保護から人々を排除しない社会にしなければなりません。失業給付、生活保護給付の拡充を基本にした、人が生きるためのルール、生存権を守るルールを急いで確立することが必要です。社会保障のなかでも生存権にかかわる制度は優先的に財政措置をするルールもつくらなければならないと思います。
 第二に重要なのは、リーマンショック以来の経済危機から教訓をしっかり導きだし、日本経済と国民の暮らしを再建する道すじを示し、そこに向かって踏み出すことだと思います。
 貧困の拡大も金融危機も、根っこは一つで、もうかれば何をやってもよいという「ルールなき資本主義」がもたらした災禍です。一月に開かれた日本共産党大会でも、国民の生活と権利を守る「ルールある経済社会」への転換を強調しました。
 私たちは、この間の経済危機は過剰生産恐慌と金融危機が結合して起きたと見ています。つまり、大企業の利潤第一主義が一方で賃金を抑制して消費を抑え込み、一方で生産を拡大して消費と生産の矛盾を引き起こし、いずれ恐慌となって爆発するわけです。こういう過剰生産恐慌は昔からありましたが、今回は経済がグローバル化するなかで新自由主義路線によって引き起こされた恐慌だと思います。
 日本の大企業は新自由主義「構造改革」をすすめ、非正規雇用の拡大や賃金の抑え込みで国内の消費を徹底的に冷え込ませておいて、生産したモノは世界市場で売ればいいと考え、特に自動車など主要工業製品は、金融バブルで過剰消費にわいていたアメリカに輸出して吸収してもらっていたわけです。
 アメリカは世界から流れ込んだお金で、株価、証券、住宅のバブルをつくりだして資産価値を引き上げ、クレジットカードローンやローンでどんどん消費をしていました。しかし、その金融バブルも、とうとうリーマンショックをきっかけに崩壊し、消費も激減、そのため日本の大企業の輸出も急減しました。自動車、電機、機械などはすそ野も広い産業ですから、日本経済全体に大打撃を与えました。

大企業が蓄積した内部留保を社会に還元せよ

 大門 また党大会の中央委員会報告では、日本の経済危機を打開するための一つとして、大企業が蓄積した内部留保を社会に還元せよ、と述べています。それを国民の雇用の安定や賃金、中小企業、社会保障のためにまわせということです。
 同時に金融バブルをささえた投機マネーは、大企業が労働者や下請中小企業から収奪して貯めこんだ余剰資金も原資になっていました。貯め込まれたマネーが貪欲なマネーゲームでバブルを引き起こして崩壊したわけです。二度と金融危機を起こさないためには、金融市場の規制強化とともに投機マネーの規制がどうしても必要です。投機マネーの原資を抑えるという点からも、ルールをつくって大企業の過剰蓄積、内部留保を国民に還元させることが重要です。
 このルールは、裏を返せば、人間らしく働けるための労働ルールや、大企業に税や社会保険料の応分の負担を求め社会保障にまわすという所得再分配のルールを確立することになります。それが国民の暮らしを向上させ、内需主導の経済再建をすすめる道です。こういう新たな方向に踏み出すべき時にきているのではないでしょうか。

大企業に貯まった金が経済活性化の方向に動かない

 山家 日本経済全体として力がないわけではないのです。大企業には大量の内部留保があり、蓄積がある。ところが、一方では非常に貧困な人が多数いると。その二つがお互いに関連して存在している。問題は大企業に貯まったお金が日本経済を良くしたり、活性化させる方向に動かないことです。大企業が貯めているお金を働く人にまわせば日本経済はこんな不況に苦しむことはない。中小企業だって大企業からうまくお金が流れればよくなるのです。ところが、大企業の貯めたお金は株を買ったり、海外に投資したりして、半分以上が海外に行っています。そういう形で国内にまわっていないお金を、国内でうまく生かして使うことが必要だと思います。
 こういう状況を生み出したのは、さきほど大門さんが「ルールなき資本主義」とおっしゃいましたが、市場原理主義にもとづく経済政策、あるいはそのための制度づくり、すなわち「構造改革」だと思うのです。大企業が好きに動ける仕組みをこの十数年の間につくってきたことだと思います。
 二〇〇八年度の企業の決算統計を見て驚くのですが、配当がけっこう多いのです。全法人企業の配当額が十二兆円です。その前年、前々年が十四兆円とか十六兆円ですから、それに比べると二〜三割減っているのですが、十年前の一九九〇年代後半から二〇〇〇年代前半にかけては、配当は年間四兆円、五兆円だったのです。今、百年に一度の経済危機と言われながら、十年前の倍以上の配当をしている。株を持っている人は十年ほど前に比べると倍以上の収入を得ている。企業はそれだけ配当するだけの力を十分もっているということです。たとえば年収三百万円の人を百万人雇っても三兆円しかいらない。一年前に比べ失業者がおよそ百万人増えていますが、失業させなくていいだけの金が企業グループ全体としてはあるということです。そのお金が株主への配当ではなく、雇用維持の方に、あるいはこの春闘での賃上げの方に回れば日本経済はいい流れが生まれてくるのです。

企業に貯まり続ける金を吸い上げる仕組みが必要

 山家 個別企業の立場から見ますと、貯めこみは、いくら貯めても限界がないのです。これだけ貯めたから、十年前に比べて倍になったから、もういいだろうとは思わない。まわりを見たら、やっぱり同じくらい貯めている、よりいっそう貯めようと、もう無限に、それこそあくなき利潤追求で、とにかく貯めて、貯めて、それでもまだ十分と思わないという形でお金を貯めていく。放っておいたら歯止めがきかないのです。
 企業に貯まり続けるお金をうまく吸い上げる仕組みが必要です。大企業でいうと、取引先の中小企業にちゃんと対価を払う、労働者にきちんと賃金を払うことが必要です。本当は企業が自主的に労働者に、賃上げなどにお金をまわせばいいのですが、個別企業ではそれはできないから、まわさざるを得ないような条件を外からあてがう。最低賃金の引き上げや雇用規制の強化で、外からそういう仕組みをつくってやる。それでも貯まった分は、税なり保険料という形で社会に還元させる。とりあげる仕組みをうまくつくっていくことで、何とか内部留保を社会全体のお金へとまわしていく。内部留保の相当のところまでは経済の中にまわるようなかっこうで還元させていく。

新自由主義は自由競争というが大企業には政府が支援

 大門 私は、日本の新自由主義の推進者であった竹中平蔵氏(元・経済財政担当大臣)と五〇回以上、国会で論戦しました。新自由主義は「自由競争が経済を活性化する」といいますが、実際は大企業や大資産家支援の経済政策を進めただけだと思います。
 竹中氏は、多国籍企業が国際競争力をつけて世界で稼いでくれれば、いずれそのお金が雇用や賃金、中小企業にもまわって日本経済全体がよくなる、だから大企業支援は必要だといいました。この「トリクルダウン」論の欺瞞性をわが党は最初から見抜いて批判しました。
 大企業に競争力をつけてあげるというのは、企業の負担を軽減してあげることです。非正規雇用の拡大、賃金のおさえ込みによる人件費の軽減、法人税や優遇税制など税金の負担や社会保障の負担を軽くしてあげるということです。その分、国民には不安定雇用、収入減、負担増が押し付けられたのです。
 そもそも、いまの日本の経済危機は、自動車など一部の大企業が国際競争力を強めすぎて引き起こした過剰生産恐慌でもあるわけです。競争力があるから、アメリカで日本の工業製品が、他国の製品を押しのけて売れた。その競争力は、技術力だけでなく、派遣など日本の労働者の低賃金構造のうえに築いた価格競争力でもありました。強い競争力があるがゆえに、生産を拡大し過剰生産恐慌におちいったのです。強い国際競争力が、かえって大災害をまねいたともいえます。
 製品の国際競争力を構成するのは、労働コスト、性能、為替レートなどの要素です。うち労働コストは、賃金と生産性で決まります。生産性が高まれば、賃金を抑制しなくとも労働コストは上がりません。また製品の性能を高めることでも競争力は高まります。賃金を切り下げるのではなく、技術革新によって生産性と製品の性能を向上させればいいのです。今回の強い競争力がもたらした過剰生産恐慌から学びとるべきは、もうこれ以上、不安定雇用や賃金切り下げによる競争力の強化はやめるべきだということです。
 にもかかわらず、財界・大企業は、相変わらず自分たちの企業の国際競争力が損なわれることを嫌い、非正規雇用の正社員化や賃金の引き上げを拒否しようとしています。この点ではいまの民主党政権も大企業の国際競争力論にしばられたままです。いまや、国民の暮らしより国際競争力が大事だと主張しているのは、日本の大企業と政府くらいのものです。
 欧州連合(EU)では、雇用・労働条件や社会保障など国民生活の向上と、経済成長の両立をめざしています。そのもとで、ヨーロッパの大企業もそれぞれ国際競争にさらされていますが、企業の社会的責任を課せられたうえで競争にのぞんでいるのです。日本の財界、大企業も、国際競争力といえば、なんでも許される時代は終わったことを知るべきです。

「強きを助け…」は当初の「構造改革」政策文書に

 山家 「構造改革」についてみますと、新自由主義にプラスアルファのついた政策です。特に小泉内閣以降の政策はそうです。まず弱肉強食の、規制緩和による自由競争のシステムをつくりだすという政策が一つの柱としてあります。その上で政府が乗り出していって「強きを助け、弱きをくじく」という政策が、もう一つの柱としてのっている。大企業に一生懸命成長して日本経済を引っ張ってくれと、大企業やお金持ちを助ける。その一方で、弱い企業が金を借りたり人を雇ったりしているのは無駄だと、不良債権処理の促進という政策でどんどん弱いものをつぶしていく政策をとった。
 これは、小泉内閣の最初の、二〇〇一年の「骨太の方針」にはっきり書いてあります。強いもの、成長産業を政府が助けるのだと書いています。それに先立つ九九年の「経済戦略会議」の「日本経済再生への戦略」という竹中さんたちがまとめた文書でも、日本は平等すぎるからよくないのだと分析しています。お金持ちがお金が使えるように税金を安くしてと書いてあります。大門さんがおっしゃったように、政府の力でもっともっと強くなれと助ける、「強きを助け、弱きをくじく」というのは、自由主義ではありません。新自由主義プラス違うものが、竹中さんの考え方なり政府の政策に入っているということだったと思います。
 中小企業の立場から見ますと、競争できびしくなったところに、政府が大企業だけを助けるから、よりいっそう厳しいという状況が生まれたのだと思います。大企業とそこに働く人の関係についてもそうです。

今回の経済危機の性格をどう見るか

 大門 リーマンショック以来の日本経済の急激な落ち込みについて、金融危機と過剰生産恐慌の結合だと私たちは見ていますが、山家さんはどのように見ておられますか。
 山家 そうですね。要するに富の分配の不平等がある。片一方で、もつ人は無茶苦茶もっていて、お金が生産活動に使い切れない、設備投資にも使い切れないぐらい金をもっている。そこで、その金をどこにまわせばもうけられるかと、もうけられそうな、それを買っておけば将来値上がりしそうなところへドッと流していく。それで値上がりし始めると、またさらに流していく。そこで、アメリカのITのバブルになり、それを受け継いだかっこうでの住宅のバブルになる。そういう流れが一方にある。もう片一方では、働いても働いても生活が苦しいというワーキングプアの大群がある。これを生み出したのが新自由主義で、片一方に富が集中する、片一方に貧困が拡大するという状況をもたらした。
 それはどこかで破綻するわけです。バブルというのは無限に膨らみ続けることはないので、いずれは破綻する。そのときに、バブルで需要がふくらんでいますから、それに応じて生産能力も拡大しているわけです。バブルの需要が剥げるにしたがって、生産能力過剰になって、今度は実体経済も弱ってくる。そういう関連だと思います。
 これまでの歴史を見ると、バブルがはじけて投資家や金融機関が痛むことと、需要が落ちて実体経済が悪くなることは、サイクル的にちょっとずれていたのですが、今回はこれが同時に両方起こった。バブルの対象が住宅であったこと、またバブルが生まれ、はじけたのがアメリカだったという特殊性があるでしょう。アメリカの人々は金を借りてものを買う、金のない人も住宅の値段が上がればそれで借金能力が高まって、それを元手に買えるという構造ですから、住宅バブルのもとで貧しい人もそれなりの消費購買力がついていた。それがつぶれたために、需要が落ちた。バブルの破裂と需要の落ち込みが同時に起こったから、お互いに相互作用して経済が厳しくなっている面があると思います。

蓄積された金が金融に向かい、不況を増幅、恐慌に

 山家 もともと資本主義には、過剰生産恐慌はつきもので、周期的に必ず起こります。個々の企業がそれぞれに判断して商品や生産設備をつくるわけですから、売れるとみると生産を増やし、設備を増やします。それが、全体としてみると、どこかの時点で増やしすぎて供給量過剰になって、不況、あるいは恐慌になる、そこで生産能力を下げる、スクラップする動きが出る。そういう動きが絶えずあるのですが、一九八〇年代くらいから、蓄積されたお金の行き場がなくなって金融に向かったことによって需要が膨らみ、調整が先送りされる。そして、不況が到来したときには増幅されているわけです。生産能力が増えて需要が上まわって過剰になるという従来のサイクルにプラスして、金融面から仮の需要をどんどんつくり出して、不景気の到来を先延ばしにするわけです。購買力が実際はないのに、金を借りられることによってものが売れている。これが行き詰まって限界までくると、生産能力の方にも影響が出てきて、より大きな恐慌になるということがあると思います。

外需依存から内需に軸足をおいた経済に

 大門 国民の暮らしをよくするために、これからの日本経済はどうあるべきなのでしょうか。この点では、世界経済危機と日本の過剰生産恐慌からしっかりと教訓を引き出すことが大切です。
 第一の教訓は、先に述べたように、大企業をいくら応援しても国民の暮らしはよくならなかった、ということです。国民の犠牲のうえに、大企業だけが巨額の富を蓄積するばかりでは、なんのための経済、なんのための社会でしょうか。大企業にも社会的存在にふさわしい役割と責任を果たさせる必要があります。そのうえで大企業、中小企業、国民の暮らし、それぞれがよくなっていく経済のあり方に変えていかなければならないと思います。
 第二の教訓は、外需依存の経済のあり方が大失敗したということです。したがって、これからは内需にしっかり軸足をおいた経済にしなければなりません。
 ただし、もう輸出、外需はどうでもいいということではないと思います。日本は天然資源の乏しい国ですから、輸出による貿易黒字を確保して、海外から資源を購入しないと経済が維持できません。輸出そのものは日本経済にとって重要です。しかし、だからといって、輸出のために、国民に賃下げや負担を強いて、内需を犠牲にするのは本末転倒です。また工業製品の輸出とひきかえに農産物をどんどん輸入することなど、食料主権、自給率向上の観点からしても、もってのほかです。あくまで国民の暮らしや国内産業を大事にしたうえで、輸出、外需を位置づけるべきです。
 内需に軸足をおくということは、国民の暮らしをあたためるということです。内需といっても個人消費、公共投資、住宅投資、企業の設備投資、政府最終消費支出などがありますが、主役は個人消費(家計消費)です。家計をあたためることが内需のよい循環をつくりだすような経済の構造にしていく必要があります。
 輸出にかんしていえば、アメリカ一辺倒、特定大企業中心の輸出のあり方を見直すことが必要です。あれだけの経済危機を経験したにもかかわらず、相変わらず日本の財界、大企業はアメリカの消費が再び活性化するのを心待ちにしています。
 アメリカ経済の本質は、モノをつくって売ることより、借金して消費するという危ない経済です。それはドルが世界の基軸通貨だからできることです。アメリカは経常収支の赤字の国です。経常収支というのは、国際収支のうち、モノやサービスの取引による収支のことです。要するに、経常収支が赤字ということは、他の国へモノを売るより、買うほうが多いという意味です。
 アメリカの経常収支の赤字は、九〇年代末ころから急速に拡大します。つまり他の国へモノを売るより、買うほうが圧倒的に多くなりました。アメリカへモノを売った国は、ドルで代金を受け取りますが、それはドルのまま保有することになります。たとえば、日本の場合、受け取ったドルを円に換えると、ドルを売って円を買うことになるので、ドル安・円高になってしまい、輸出するのに不利になります。そこで、ドルのままアメリカの国債や証券などに投資して利ざやをかせごうとします。つまりアメリカから受け取ったドルを資本取引というかたちで、またアメリカに還流させるのです。アメリカに還流されたマネーは、アメリカの国家財政をささえ、株価を上昇させ、投資を活発化させ、それが消費を喚起します。またサブプライムローンのような投機商品にも流れこみ、バブルを引き起こし、それが実力のともなわない過剰消費を生みました。
 アメリカの経常収支の赤字の拡大は、ドルへの信頼を失わせつつあります。もしもドルの急落が起これば、輸出で稼いだドル資産も大きく棄損します。ドルが急落する可能性も考えなければなりません。
 ITバブル、住宅バブル、金融バブルと、バブルばかりくりかえしてきたアメリカの過剰消費をこれからもあてにした、アメリカ一辺倒の輸出は見直すべきです。
 この間、アジア向けの輸出も増加しています。現在のところ、アジア向けは部品などの中間材の輸出(それをアジアで組み立ててアメリカへ輸出)が多くなっていますが、今後はアジアへの製品輸出や、もっとヨーロッパを視野に入れた輸出の方向へシフトすべきでしょう。

資本として、まずいと気づいても手が打てない

 山家 「構造改革」をどんどんやってきたのが、資本としてもまずい結果になりつつあるということは、二、三年前から、安倍内閣の頃から、ある程度見えてきたと思うのです。安倍さんが、経団連の年頭の会議で、どうぞ賃上げしてくださいと発言したと聞いていますが、実際にさしたる賃上げは行われず、結果として経済はこんな状態になった。賃上げが行われず、消費が不振で企業もけっこうな痛手を受けています。それは自分たちがつくり出した、そういうはねっ返りを受けています。
 そのほか、人の面で言うと、派遣に頼っていると人材育成ができなくて、日本の企業の強みがだんだん衰えていくかもしれないという恐れが出てきているとか、いろいろな面で資本の方にもツケがまわってきていると思うのですが、それが見えた段階でもぜんぜん手を打たないで、個別資本の論理でどんどん動いている。自由主義の考え方というのは、個々が一生懸命やれば全体としてうまくいくという考え方です。しかし、実はうまくいかない、いろいろまずいことも起こるということが見えていたのですが、いっこうに手が打てなくて、ついに今の破局に至った。
 今でもまだ有効な対策は打たれていないですね。派遣切りとか、今の景気をもっと悪くするような経営を個別の企業はとっている、とらざるを得ないと言ったらいいかな。

民主党政権の経済政策をどう見るか。「構造改革」のゆきすぎ是正はあるが、それからの方向転換がない

民主党政権の「新成長戦略」は自公政権と同じもの

 山家 年末に発表された民主党政権の「新成長戦略」を一読して驚きました。基本的に前の自民・公明政権の時代と同じものだったからです。言葉づかいからして似ています。たとえば国際競争力を強化しなければいけないとか、規制緩和しないといけないと言っている、社会保障については「持続可能な社会保障制度」という言葉もそのまま使っていて、構造改革時代の政策がそのまま出てきたペーパーだと思うのです。これは、まるで民主党政権の財界向けのPR文書、宣伝文書で、私たちの政府はこんな未来を展望していますから、みなさん支持してください、票をください、お金もくださいという、民主党政権売り込みの文書みたいな感じがしました。
 「日本の技術や規則・基準・規格を、アジア諸国等とも共同で国際標準化する作業を行い……日本企業がより活動しやすい環境を作り出す」といっています。アメリカが日本にやったことを、日本がアジアに対してやるというのです。「アジアの富裕者等を対象とした健診、治療等の医療及び関連サービスを……促進していく」などという恥ずかしいこともいっています。アジアの貧困層に、ではなく、富裕層に、というのです。本当に今、こういうものを策定することが新政権に要求されているのかということです。
 鳩山内閣は、国民生活第一とか、暮らしが大事とか言っていますが、今のところ、そのビジョンがぜんぜん示されていません。とりあえず何をやるかは「マニフェスト」に書いてあるが、その先にどういう社会を展望するのかが、まるで示されていないのです。暮らしがどうなるか、労働現場はどうなるか、社会保障をどうするのか、それもない。二〇二〇年ぐらいを目標に、人々の暮らしをどういう状況にしていくのか、どういう社会を実現しようと考えているのかというペーパーを出すのなら大いに意味があります。それをまったく示さないままに、「輝きのある日本へ」ということで、経済成長に重点をおいた政策を示すことは本末転倒です。
 鳩山さんの所信表明演説は、これからは経済成長を中心に考えるのではなしに暮らしを中心に考えるんだという言葉がありました。それとまったく違う発想で「新成長戦略」は書かれています。今後十年、「国民が実感できる名目成長率の実現を最重要課題と位置づけた政策運営を行う」というのです。その政策のもとで、いったい労働現場はどうなっているかと見ると、よくわからない。日本の労働者は有給休暇の取得日数がヨーロッパ諸国と比べ、無茶苦茶少ないのですが、有給休暇をうまく配分して、休みが集中するとまずいから分散するようにしようとか、そんなケチなことしか、今の制度を前提としたことしか書いてありません。あらゆる面でそうなので、私はこれは何だろうという感じで読みました。

新自由主義のゆきすぎ批判はするが、方向転換はない

 大門 民主党は、当初、竹中・小泉「構造改革」路線が出てきたとき、その最大の応援団でした。「自民党の中には(「構造改革」への)抵抗勢力がいる。だから私たち民主党が応援する」と国会でも言っていました。それが「構造改革」に対する国民の批判・反撃が高まるなかで、小沢戦略のもと、「構造改革」賛成では政権を取れないと方向転換したわけです。
 現在、民主党政権の閣僚がよく言うのは、ゆきすぎた市場原理主義はいけない、是正すべきということです。ようするに市場原理主義などの新自由主義は、間違っていないが、ゆきすぎてはダメ、自公政権のやりすぎた部分はただしましょうということです。民主党の経済路線を一言でいえば、「ゆきすぎない新自由主義」であり、新自由主義そのものから方向転換するものではないと思います。
 それが、派遣法の抜本的な見直しに二の足をふむ、後期高齢者医療制度廃止の先送り、税財源も大企業、大資産家優遇にメスをいれないなどのことに早くもあらわれているのではないでしょうか。
 結局、新自由主義からの方向転換ができない。民主党の「新成長戦略」が経団連からも「目指す方向は一致している」と評価される始末です。

国会内外での強い圧力が必要

 山家 民主党は新自由主義的な考え方をもっている人がけっこうたくさんいます。根っこには新自由主義的な考え方があります。それを、小沢さんの戦略なのでしょう、政権をとるためにはそれではダメで、自民党・公明党の政権に反対するような政策を打ち出さなければいけないと、選挙で打ち出して勝ったので、今は暮らしの方に目を向けた政策をとりあえずやっている。しかし、本当にやり続けられるかどうかは疑問です。
 そういう点で、本当に暮らしを大切にしますというビジョンを示して、われわれに安心感を与えて欲しいのですが、「新成長戦略」を見ると、不安の方が先走って、いつもともとの改革好きの方に戻っていくかなと不安を感じます。これから暮らしをよくするための政策が壁にぶつかってくると、すぐ撤退して別な、もと来た道、自民党・公明党がやったのと同じ方向に行きかねないという恐れを感じます。
 民主党は、反「構造改革」の政策を展開するべきという立場をとっている人、たぶん選挙のための方便だけではなくて、そういう考えの人もある程度はいると思います。ただ一方で、もっと多い部分として、「構造改革」の道、ゆきすぎだけを是正しての新自由主義、引き続き規制緩和なり自由化なりの道を歩むべきだと考えるという人々もいます。
 党内がそういう状況ですから、この政権の政策を市場主義の方に行かせないためには、そっちへ行きそうになるとブレーキをかける、もっとこっちへ行けと引っ張る外からの力が必要です。それは、国会内では共産党だし、国会外では、組合の運動や市民運動、障害者の運動とか、そういう運動が政権の行くべき方向を示して強い圧力を加えていくことです。そうしないと、元の木阿弥になってしまう恐れがあると感じています。

後期高齢者医療制度の廃止の先送りの危険

 大門 派遣法の抜け道のない改正とともに、後期高齢者医療制度の即時廃止を何としても実現させなければと思っています。民主党政権は次の新しい制度をつくるまで先送りするといっていますが、延ばせば延ばすほど被害が広がります。選挙公約どおり今すぐ廃止せよの世論と運動を強めることが大事です。
 民主党のいう次の新しい医療制度は、全容はまだはっきりしませんが、非常に危ない構想だと考えています。医療保険の一元化というのは、働いている人の健康保険と国保を一緒にしてしまうというものです。働いている人の健康保険は企業負担が半分あります。統合するとどうなるか。年金の基礎年金の消費税化と同じように、企業負担がゼロになるという可能性が高いわけです。また一元化して地方自治体ごとに運営してもらう地域保険にすると言っていますが、財政力のある自治体とない自治体とで医療保険制度の中身に格差が出てこないのか。民主党の「地域主権論」が、何でも地方の責任でというもので、ナショナルミニマム論が欠如していることからいっても心配です。
 また医療の一元化は、イギリスがやっていますが、財源は保険ではなく、税なのです。NHS(国営医療サービス事業)といって、一つの医療福祉制度として実施されているものです。民主党の医療チームのある議員は、日本も医療福祉税でやるべきだと言っています。つまり福祉目的税、消費税のことです。
 そういう危ない構想ができるまで後期高齢者医療制度は廃止しない、そんなバカな話はないだろうと思います。
 山家 後期高齢者医療制度を放っておけば、毎年七十五歳になった人は入れられるわけです。この四月には保険料も上げられます。苦しむ人が四年間で確実に増え、入れられている人の苦しみも増すわけです。制度をすぐにやめて、元へとりあえず戻して、必要な資金は財政で措置すれば何とかなるのです。それをやらないとすれば、せめて新規の加入はストップさせるとか、保険料は上げないとか、今の苦しみを浅くする方向での、とりあえずの手当てをしながら制度を考えるというのならまだわかるのですが、何もないですね。新規に七十五歳になった人にどう対処するのか、せめて選択の自由を与えるとか、そういうのもない。

来年度予算案をどうみるか

 山家 民主党政権の二〇一〇年度予算案をどう評価するか。私は、歳出面では「コンクリートから人へ」という方向を打ち出した点は評価しています。公共事業がかなり抑えられて、子ども手当を新設したり、母子加算を復活させるなど、いくつか社会保障をよくする施策が打ち出されている。農村に対して戸別所得補償という、今までの政策とは違う流れも出してきています。地方交付税も税収が減っている中で、ある程度手当しています。いずれも十分なものではないのですが、そういうふうに流れを変えたという面で一定の評価はできると思います。ただ、多くの面で自公政権の政策が踏襲されているという問題があります。軍事費なんかにはまったく切り込みせず、今までの政策そのままです。これだけ財源が厳しいおりから、日本の将来像を見据えて軍事費カットという方向に踏み出すべきです。
 税制面では、まったく改善がない。年少者に対する扶養控除をなくすなどで財源を生み出していますが、これは要するに国民の中であっちから取ってこっちへ移すということです。本来、手をつけるべき、支払い能力のあるところに負担を求めるという改革に全然踏み込んでいない。法人税もそうですし、租税特別措置でも、大企業優遇の研究開発減税などの臨時措置がまた先延ばしされました。
 株式配当、株式の売買益に対する税率を一〇%にするという証券優遇税制は、麻生内閣が延長したのですが、それにそのまま乗っかって見直しをしていない。証券優遇税制は、日本の「貯蓄を投資へ」という「構造改革」路線です。金融資産を銀行預金や郵便貯金から株式投資や投資信託などに向けさせたいという流れの中で、そちらへ向かう金を優遇する政策でした。いま、ゆきすぎた証券化がサブプライム問題を起こしたので、銀行預金などの安全資産をリスク資産に換えようという動きは問題がある、ということが明らかになりました。こうしたときですから、証券優遇税制は廃止すべきだと思います。そもそも、株をもっている人の売買のもうけは、それなりの富裕層ですから、そういう人を優遇する必要はないので、その面からもすぐにでも廃止、打ち切ってもよかったと思うのです。それにまったく触れることがないというのは、自公政権と同じようにお金持ちに対して踏み込むことがまったくできていないという面で大いに問題があるかと思います。
 全体として、歳出面の流れを変えたという面で一定の評価はできますが、財源問題に踏み込みがないものですから、歳出面の改革も今年一年限りになるのではないかとの不安があります。来年はこの延長の政策ができるかどうか、埋蔵金の取り崩しにも限界がありますし、国債をむやみに増やしていくわけにもいかないので、財源面のネックが出てきます。そうすると、消費税増税の検討をという声が、もう閣僚の中から出てきましたね。財源を消費税に求める流れが出てきたのは危険な動きです。軍事費を切り込むなり、法人課税を強化するなりして財源を手当する道があるのですが、それをまったくしないと、消費税増税という国民にとってはまずい方向に行く恐れが出てきたという感じもいたします。

いまこそルールある経済に踏み出すべきとき

 大門 山家さんも指摘されたとおり、予算案には、いくつもの問題点がありますが、大きく言えば、自民・公明の「構造改革」路線からの根本的な転換ができないだけでなく、「構造改革」の「傷跡」を元に戻すという点でも不十分です。抜け道の多い派遣法の改正、後期高齢者医療制度廃止の先送り、生活保護の老齢加算を復活しない、税財源も大企業、大資産家優遇の継続、軍事費にメスを入れないなどのことにあらわれています。
 経済危機から暮らしを守るための予算にするためには、大企業に社会的責任を果たさせること、社会保障費削減路線の「傷跡」を是正すること、軍事費と大企業・大資産家優遇という二つの「聖域」にメスを入れる──そういう予算にしなければならない。

日本経済の健全な発展をはかるために何が必要か

 ──これまでの議論で指摘されましたように、日本の資本主義のあり方が根本から問われていますが、あらためて、中長期的に日本経済の健全な発展をはかるために何が求められているのでしょうか。

労働と資本の規制緩和で資本主義のあり方が変質

 山家 九〇年代に顕著になったことは、労働規制の緩和などで、企業が金を労働者にまわさなくてもいい仕組みが持ち込まれたことです。それまでですと、商売が増えて人を増やさなければいけない、もうけが増えるけれど人件費もそれに応じて増やさなければいけなかったが、派遣の利用などによって安い人件費で済ませるような、そうした制度が利用できる仕組みをつくったことがあります。労働市場の規制緩和という「構造改革」です。
 もう一つ、企業の方でも、そう動かざるを得ない仕組みがつくられました。資本の規制緩和で、会社合併とかをやりやすくしました。それによって経営者自体も絶えず脅迫されるようになりました。この企業はまだまだ賃金カットの余地がある、不採算部門をカットできる余地があるなどと見られると、外からファンドなり、他企業から乗っ取りをかけられる。乗っ取りをかけられないようにするためには、この企業は誰がやってもこれ以上、利益が出ないのだという極限までもっていかないといけない、それも四半期単位で、目先の利益を最大限あげるような経営をしないと経営者自身の首が危ない、そういう改革が行われたのです。
 加えて、企業がもうけることはいいことだ、株主に奉仕するのが役割だというイデオロギーが流布されました。経営者が、リストラや派遣切りをしながら株主配当を増やすことを、引け目を感じずに行動できるようになっています。
 こうした労働の規制緩和と、資本の規制緩和と、賃金を抑えてもうけを増やすことについての思想的な正当化があって、かつてとは違う、企業がもうかっても賃金が上がらない経済になったのです。「構造改革」によって、そういう構造がつくりだされました。
 金融面について言うと、アメリカは、九〇年あたりから、もので稼げない経済になった。ものづくりをやめて金で稼ぐような経済になった。金で稼ぐためには、お金がどこの国へでも、どこの地域へでも自由に出たり入ったりできる制度にさせたいわけです。アメリカは金融の自由化を世界各国に迫って、お金が自由に動きまわれる世界をつくり出しました。それがほぼ完成したのが九〇年代の終わりくらいです。日本は、金融ビッグバンが一九九六年にスタートして二〇〇〇年頃にほぼ完成しました。自由にお金が動きまわる環境をつくって、お金がもうけが上がっているところへ行く。そこへ集中的に行くという流れが自由にできるようになりました。

賃金をおさえ、リストラを要求する投機マネー

 大門 投機マネーは、賃金を抑制し、貧富の差を拡大する役割もはたします。投機マネーは、株式市場にも流入します。投機マネーは短期的な利益を追い求めるマネーです。株式市場で投機マネーが重視するのは株主資本利益率(ROE)です。ROEとは、株主資本にたいする当期の純利益の割合を示す数字です。株主資本とは、株主が出資した資本金や、それを使って生じた利益の剰余金のことをさします。資本金だけではなく、剰余金も株主のものであるという考えに立ったとらえ方です。したがって、ROEとは「投下した資本に対し、企業がどれだけの利潤をあげられるのか」を示す指標となります。株主(投資家)にとっては、ROEの高い企業に投資した方が利益(配当)を稼げることになりますし、企業に対しROEの引き上げを求めるようになります。ROEは投資家が「企業価値」を判断する最大の材料なのです。
 ROEを引き上げるには、分子の純利益を大きくすることが必要です。そのため企業は、人件費をおさえつづけながら、売り上げをのばすことに専念します。たとえ売り上げがのびても、人件費に還元したら純利益が下がってしまう。そうなるとROEも下がり、投資家から見放される。逆に積極的に人件費を下げたらマネーを呼びこむことができる。企業がリストラ計画を発表するとその株価が上昇するのは株式市場では日常的に見られることです。人員を削減し、労働者の賃金をおさえたり、非正規雇用を増やした企業のほうが、「企業価値」が高いとして株価が上がるのです。
 一方、株主資本主義は、株主だけでなく、役員への配当、報酬を手厚くします。業績連動型報酬としてストックオプションを導入する企業も増えてきました。ストックオプションとは、取締役や従業員に対して企業の発行する株式を株価が上昇した際にあらかじめ定めた安い価額で買い取ることができる権利をあたえる制度です。
 株主資本主義は、労働者の賃金抑制を求めると同時に、株主や一部役員にばく大な利益をもたらすという点で、日本の所得格差を広げる強力な圧力となっています。マネー資本主義化したもとでは、全体でルールをつくらないと、個々の企業では今期は利益があがったから雇用を増やしたり労働者の賃金を増やしたいと仮に思っても、それで株価が下がったら大変だということでできない、そんな社会になっています。社会全体、企業全体で守らなければならない労働、賃金のルールを確立して、労働コストではなく他のところで企業価値を測って投資をするというようにしなければなりません。正社員雇用を原則にして技術も育っていく、そういう企業にこそ健全な投資がされるような社会にすべきです。

まず最低賃金引き上げや雇用規制強化から

 山家 そういう仕組みをビルトインしてきた「構造改革」の十数年の中で、放っておいたらどんどん暮らしが厳しくなる社会に行く流れになっています。基本的には、株式市場が会社を、株価が会社を支配していて、しかも短期の利益を求めながら資本は動くわけです。企業としては自社の利益を最大限にしなければいけないという圧力に絶えずさらされている、そういう仕組みがつくられたのです。その流れの中で、暮らしは日に日に厳しくなっていきます。ですから、そうした仕組みの数々を基本から一つひとつていねいに変えていかなければ、この流れはそう簡単には変わらないと思います。
 差し当たりは、最低賃金を上げること、雇用規制を強化すること、そういう目に見えるところをまずやって流れを変える。「構造改革」が生み出したこうした仕組みは、個別企業にとってはともかく、全体とするとまずいというのはだいたいの経営者もわかってきているのではないでしょうか。うちは賃上げしたい、もっと君たちに報いてあげたいのだけれども、それをやるとうちの企業は危ないからな、という悩みを多くの経営者が抱えていると思うのです。
 企業のあり方についていえば、ひと昔前までは、パナソニックにしろソニーにしろ、営々と本業に励み、その道一筋でだんだん大きくなってきました。いい企業かどうかはともかく、そういう流れがありました。今はそうではないですね。どこか、もうかりそうな企業を買ってリストラなどをして、もっともうかるようにして、それを売ってもうけてというかっこうで、変なお金の流れが主流になっていますね。外国から入ってくるお金にしても、地場の産業を育ててくれるかというとそうではなくて、食い荒らして、もう食う余地がなくなったら売り逃げしていく。本当の意味でいい企業が育たない仕組みになりつつあると思います。
 企業は、とにかくコストを下げて、目先のもうけを増やさなければいけないわけですから、長期的なことを考えて研究開発したり、製品開発したりすることを、どうしても中心におけなくなります。今回の金融危機でも金融機関の経営行動が問題であったのですが、金融機関の経営自体がそういう問題経営を強いられていたという面があるかと思うのです。そういう仕組み全体を世界的につくっちゃった。アメリカ中心につくってヨーロッパはそれに抵抗しながら少しずつそちらへ引きずられている面もあるかと思います。

欧州の「ルールある経済社会」づくりの大本に何が

 大門 最初に述べたように日本共産党は、国民の生活と権利を守る「ルールある経済社会」をつくる改革を呼びかけています。それは、世界の人民のたたかいを反映して、すでに国際条約の形で確立しているルールや、ヨーロッパの主要資本主義諸国ですでに実現しているルールも踏まえて、日本の現状にふさわしい形で具体化しようというものです。
 なぜヨーロッパは社会保障制度、労働者保護、所得再分配などがきちんとしているのか──私は、この間、ヨーロッパ諸国の歴史と経験について、いろいろと調べてみたのですが、一言でいうと、「社会的公正」(social justice)を社会全体がめざす共通の理念として追求してきたからだと思います。
 社会的公正とは、一言でいえば、人間の権利を守り不平等をなくすという意味です。この言葉は、国際労働機関(ILO)や欧州連合(EU)などヨーロッパの文書にひんぱんに出てきます。現代のヨーロッパが社会制度や経済のルールを構築するうえでの理念になっています。
 もともと社会的公正は、産業革命期の資本主義の残酷な搾取に反対して、民衆のスローガンとして掲げられたものですが、その後の労働運動、社会主義運動の共通の目標にもなっていきます。
 社会的公正の理念は、当時のヨーロッパの社会的な価値観を形成していたキリスト教にも影響をあたえます。キリスト教には救民思想があり、十九世紀以前の救民とは、教会が金持ちから寄付を集めて学校などの社会施設をつくったり貧者に食事や衣料などを配ったりすることでした。貧者には忍耐を、金持ちには慈善を説いて過ごしてきました。しかし、一八九一年、ローマ教皇・レオ十三世が「新しい規範」という回勅を発表します。回勅とは、ローマ教皇が信仰や社会の問題について信徒全体に訴える書簡のことです。ここでレオ十三世は、当時の労働者の惨状をふまえ、ゆきすぎた搾取をする資本主義に対し、警告を発しました。これがカトリック教会としてはじめて労働問題に言及した回勅だといわれています。
 レオ十三世は、ヨーロッパをはじめ世界中の工業国は、いずれも少数の資本家が富の大部分を独占し「あくことを知らないまでに貪欲に自分の利益ばかり求めて」行動し、労働者、一般大衆は徹底的に搾取され、貧困に苦しみ悲惨な生き方を強いられていると厳しく批判しました。貧者や労働者の境遇の改善は「憐れみ」ではなく、社会的公正の問題であることをはじめて明確にしたもので、その後、現在にいたるまで、この考え方がカトリック教会の正式な立場となっています。
 同時にレオ十三世は、「多くの者は社会主義に移行すれば、貧困と社会的不公正の問題は解決されると考えているようだが、それはたんなる幻想にすぎない」とも呼びかけました。当時は、一八六四年に第一インタナショナルが結成され、一八七一年にはパリ・コミューンが誕生するという時代でした。この回勅はレオ十三世が、キリスト教社会の秩序を守るため、当時、高揚していた社会主義運動へ人々が参加することをけん制したものだと思われます。逆にいえば、社会主義運動がカトリック教会にも大きな影響をあたえ、社会的公正を理念として掲げさせたことになります。
 またレオ十三世の回勅は、当時のヨーロッパ諸国の政府関係者や政治家に大きな影響をあたえ、その後のヨーロッパの保守政党の中心勢力となるキリスト教民主主義政党の思想的支柱となりました。社会的公正が、社会主義勢力だけでなく、程度の差はあるにせよ、保守勢力の理念にも組み入れられたことが、後々二十世紀ヨーロッパが福祉国家をつくるうえで大きな力となったように思います。

日本国憲法も「社会的公正」を求めている

 大門 社会的公正は、第二次世界大戦の末期、連合国の間で、戦後の世界を構想する際のキーワードになりました。基本的人権や労働権を保障しようという国際的気運の高まり、社会的公正の実現を求めるILOの宣言や国連の世界人権宣言が打ち出されます。こういうなかで戦後社会を規定する日本国憲法もつくられ、基本的人権の尊重や生存権、労働権などが明記されました。日本国憲法も社会的公正を求めているのです。ヨーロッパと日本のちがいは、社会的公正を経済のあり方や社会制度に実際にルールとして組みこんでいるかどうかのちがいだと思います。
 そういう意味で、憲法の理念を経済社会に実現しろというたたかいが必要になっているのだと思います。
 労働コストをあげると、大企業の競争力がなくなってしまうという議論がすぐ出てくるのですが、ヨーロッパでは最初からそういうことは織り込み済みです。だからこそILOは政労使で構成されています。使用者側も入って、みんなでやろうと、みんなでやらないと、個々の企業だけが労働条件の改善をしたら、競争に負けてつぶれてしまう、そういう意味もあるわけです。
 日本共産党がこの間、強調しているのも、企業全体がルールを守ることが企業自身の健全な発展につながるということです。EUは発足当初から、二つの目標──社会的公正と経済成長の両立をかかげてきました。けっして経済成長が先にあるのではなく、人間の幸せがあってこその経済成長だという考え方です。同じ資本主義の日本でもできないはずはないのです。

よくするために明確な目標を決めて向かっていく必要

 山家 私は、「構造改革」がこわしてきたものを何とかよくするために、明確な目標を決めて、その目標へ向かって動いていくようにすることが必要だと思います。つぎの四つを目標として考えています。
 一つは、労働現場が無茶苦茶になっているから、これをよくしていく。目標としては週四十時間労働で暮らせるような社会にする。労働基準法が定める週労働時間の上限四十時間です。この規定は、労働基準法の第一条、さらには憲法の条文からきているわけです。労働者が人らしい暮らしをするためには、睡眠時間も生活時間もいるし、好きなことをやる時間、人と楽しむ時間もいる。そうすると労働時間は週四十時間が限界、上限であるという思想だと思います。
 人間らしい暮らしができる社会にすることを目指す。これは労働者も自営業者もです。労働者について言えば、四十時間働いて、あとは働かなくていいよとするためには、賃金をちゃんともらわなければいけない、暮らせる賃金を払わなければいけない。最低賃金を大幅に引き上げる必要がある。明日の仕事があるかないかわからないのではなくて雇用規制をきちんとして、一年間ある仕事は正規社員として雇う、期限の定めのない契約で雇うという原則を厳しく打ち出して、雇用を安定させることも必要でしょう。
 加えて、日本の場合は、残業が無制限に認められていますから、残業時間も法律でしばりを設けて一日とか週とか年間で何十時間以内というふうにする。これはヨーロッパではほとんどやられています。また、日本では、もぐり残業とかが横行していますが、それはもちろん厳しく罰する。そういう社会をつくることを目指す。
 二つ目は、社会保障です。これも無茶苦茶にされました。これも大陸ヨーロッパが目標になります。大陸ヨーロッパ並みの社会保障制度、個々の制度についてはいちいち言いませんけれども、お金の面で言うと、ドイツ、フランスは国民所得比四〇%ぐらいのお金を政府が社会保障に使っている。日本は三〇%弱で、一〇%の開きがあるのです。今、日本の国民所得は三百五十兆円ですから、四〇%は百四十兆円ぐらいの数字になる。いま使っている金は百兆円ですから、あと四十兆円ぐらい社会保障支出を増やしていこうという政策目標を立て、年金、医療、介護、その他福祉の施策を年々よくしていく。一挙に四十兆円を増やすわけにもいかないでしょうから、何年かかけてヨーロッパに追いつくような目標を持ってやっていく。
 三つ目は、地方経済も「構造改革」がこわしてしまいましたから、地方経済が成り立つような仕組みをつくる。そのためには、一つは自治体の財政力を強くしなければいけない。もう一つは地方の産業をちゃんとさせなければいけない。従来から地方を支えているのは農業・漁業・林業ですから、農業や林業など地域の従来型の産業が成り立つようにする必要がある。そのためには、民主党のやろうとしている戸別所得補償は第一歩だと思うのですが、それだけではダメなので、外との関係を考えなければいけない。どんどん外から安いものが入ってくるようなFTA(自由貿易協定)などをすすめていくと、いくらがんばっても日本の農業をこわすことになります。
 農業は経済効率だけで考えない。地場のものを地場で食べるのが、安全の面からは、あるいは環境の面からはいいことです。お互いの国や地域の食糧主権を認めあう、自由貿易一辺倒の考えを改める、そうした農業についての世界的なルールづくりまで日本から踏み込んで行く必要があると思います。
 四つ目に、アジア諸国との連携です。最近、財界もいい、政府もいい、みんな言い出しました。アメリカべったりではなくてアジアと共存していく関係をつくらなければいけない。それをしていくためには日本自身のあり方が問われます。前の戦争で周りの国々や人々に多くの被害を与えて、そのままほったらかしという問題が多く残されています。北朝鮮とは戦後処理が未解決のままです。それ以外の国の人々に対しても、戦時中あるいは戦前の日本のしたことに対してきちんと反省し、賠償すべきものは賠償して補償をきちんとする。ヨーロッパにおけるドイツとフランスの関係のような関係を、日本と周りの国でつくり出していくことが必要です。また、将来にわたって日本がもう二度とそういうことをしない保障として、平和憲法を守り、軍事力を減らしていく。率先して、そういうことをやることによっていい関係がつくっていけるだろうと思います。

ルールづくりと国際競争力論

 山家 このように目標をもって、ルールをつくっていこうとすると、国際競争力が弱まるという話が必ず出てきます。しかし、別に世界で一番すぐれた労働条件をつくれとか、社会保障を世界一にしようとか言っているわけではありません。せめてヨーロッパ並みのルールにしよう、あるいは社会保障にしようというわけで、ヨーロッパと同じ条件にしようというだけですから、それで国際競争に負けるというのは理解できない話です。
 日本は資源のない国で原材料を買わなければいけない。そのためにはちゃんと輸出できなければいけない、それが大事だという考えが人々の間にしみ込んでいますから、国際競争に負けるというと、それは大変だという反応が返ってくるのですが、実は、今、日本の国際競争力は強すぎるくらい強いわけです。もう二十年近く、ずっと経常収支は世界一の黒字を計上してします。経常収支は世界一の黒字である必要はなく、必要なものが買えるだけの輸出ができていればそれでいいわけです。日本には十二分にゆとりがあるといっていいでしょう。

ルールなき競争、賃金犠牲のダンピング競争の悪循環

 大門 現在、過熱気味の衣料品をはじめとした安売り競争も「合成の誤謬」を引き起こしています。たとえば、品質の良いジーンズが九百八十円で買えるということは、それを買いたい人にとっては「いいこと」です。しかしそのジーンズは人件費の安い海外で生産され、それを売る日本人の販売員の人件費も徹底的におさえられているとしたらどうでしょう。かりに九百八十円のジーンズが爆発的に売れたとしても、日本の経済全体に波及するのはわずかにとどまります。モノが売れてもそれが人件費にまわらなければ、経済効果にならないからです。爆発的に売れれば、販売員一人ひとりの給与は増えなくても、販売員の数は増やさなくてはならないから、雇用はふえるのではないかと思われる方がいるかもしれません。しかし全体ではそうならないのです。なぜなら、九百八十円のジーンズの出現は、「一人勝ち」の企業を生むと同時に、全体としては商品価格を押し下げ、それに耐えられない企業の倒産や失業をつくりだします。全体では雇用は減ってしまうのです。
 ダンピング競争は結局、足の引っぱり合い、首のしめ合いになるのです。この場合も、最後は、賃金や雇用にしわよせがきて、経済全体を委縮させてしまいます。モノの値段を下げようとして、賃金をおさえる→モノを買う力が減少する→またモノが売れなくなる→さらにモノの値段を下げようとして、さらに賃金をおさえる→モノが売れなくなる、という悪循環におちいってしまうのです。現在の日本はまさにこういう悪循環の真っただ中にあります。
 賃金を引き上げ、雇用を安定させてこそ、この悪循環を断ちきることができます。そうでなければ、日本経済の再生も各企業の中長期的な発展もありません。

デフレ経済の悪循環を突破するには賃金を上げること

 山家 ものが売れないから値段を下げる、下げるから賃金を抑えなければいけない、そうするとまた買う力が弱くなって、また値下げしなければいけない、悪循環です。そして、賃金が安いから競争力ばっかり強くなって、そうすると円高になってまた苦しくなるという悪循環です。今、デフレ経済とか言われていますが、これを突破する一番いいことは賃金を上げることです。せめての下支えとして、ここより下げてはいけないという線を設けるべきです。その結果、商品をある程度値上げしてもしょうがないです。しかるべき賃金を払って九百八十円ではとてもダメだというのなら、それは上がってもしょうがないというぐらいでやっていかないといけない。
 さっきヨーロッパの話をされましたが、社会的なルールをささえるものとして、ヨーロッパの場合は一人ひとりの、自分の生活は侵させないぞという抵抗力が強い社会だと思います。日本は、それに反して、企業のためとか国際競争力のためとか、全体から見て自分が犠牲になるのはしょうがないと、わりに受け入れてしまう人が多い感じがします。残業代を払わなければいけないというルールがあっても、会社が払わないと、泣く泣く甘んじてしまうというところがある。ヨーロッパの場合は、わが生活を侵されず、何があろうと自分の生活はこれだからと、無茶苦茶に働くようなことはしないとか、歯止めが個人レベルでもあると思うのです。法律で労働時間などの最低限をもうけるとともに、そうしたことを許さない社会をつくることが必要だと思います。

 ──最後に、今年をどういう年にするか、一言お願いします。

今年を暮らしの豊かさ実現の第一歩の年に

 山家 私は今、日本経済は戦後・第二の出発点に立っているととらえています。第一の出発点は、言うまでもなく、一九四五年夏、敗戦の年の夏です。廃墟からの出発でした。それからおよそ五十年、一九九〇年代の半ばまでは、いろいろな時代があり、多くの問題もありましたが、ともかくも人々の暮らしが豊かになる方向へと、流れていく五十年だったと思います。その流れを変えた、経済も社会も悪い方向へと、とりわけ人々の暮らしを悪い方向へと変えていったのが「構造改革」だったと思います。そして、その「構造改革」路線が昨年の総選挙で否定された、新しい政権が生まれた──今を、戦後・第二の出発点ととらえるゆえんです。
 新しい出発が始まろうとしていますが、しかし、まだ楽観は禁物です。新政権は、内に古い部分──「構造改革」路線──を抱え込んだ政権です。いつ、古い路線に戻るかしれない、危険な政権です。そうした後戻りを許さないために、今年を人々の暮らしの豊かさの実現の第一歩の年とするために、政権の外の頑張りが重要です。外の力によって、新政権の政策をいい方向へと動かしていく、その力の強さいかんに、「日本経済の健全な発展への道」が開けていくかどうかがかかっていると思います。

現場のたたかいとスクラムを組み、参院選で前進

 大門 社会的公正を実現するためのルールは、ヨーロッパの経験にてらしても、日本の戦後社会をふりかえっても、国民、労働者のたたかいによってかちとられていくものです。国民は、二〇〇九年の総選挙で、ルールなき資本主義の現代版である新自由主義「構造改革」路線を否定し、自公政権を倒しました。これからの経済はどうあるべきなのか──国民の模索は始まっています。
 民主党政権は、ゆきすぎた市場原理主義は是正するとし、人間のための経済という言葉をくりかえしています。しかし、財界中心主義や市場原理主義そのものを否定しているわけではなく、資本主義をどうみるかという確固たる理念もありません。日本共産党は現場のたたかいとスクラムを組みながら、「ルールある経済社会」こそ日本経済と国民の暮らしを再建する確かな道であることを、広く訴えて参議院選挙で前進する決意です。
(やんべ・ゆきお/だいもん・みきし)
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