官邸のなかにある首相執務室には、為替と株の値動きをしめす電光ボードが置かれているそうです。安倍晋三首相は、刻一刻と変わるボードの数字をみながら、なにをかんがえているのでしょう。おそらく、ろくなことはかんがえていないとおもいます。
「改憲を成しとげるまでは、株よ、下がらないでくれ」、そんなことでもおもいながら、電光ボードをながめているのではないでしょうか。
一九八〇年代後半、世界的に金融の自由化がすすみ、リスクの高い金融商品や半年後の天気を言い当てるような先物市場がつぎつぎとつくられました。
金融取引がじっさいの経済活動の何倍もの大きさにふくれあがり、イチかバチかのマネーゲームの世界に変質していくなかで、実体経済もそれにふり回され、経済全体がギャンブルのようになっていきました。
イギリスの経済学者、スーザン・ストレンジ(一九二三〜九八)は、マネーゲーム化する現代資本主義のすがたを「カジノ資本主義」とよびました。
九〇年代にはいり、「カジノ資本主義」はさらに膨張し、東アジアやロシアに通貨危機を仕かけ、二〇〇〇年代に入るとITバブルを発生させたあげく、とうとう〇八年にはリーマン・ショックとよばれる世界的な金融危機を引きおこしました。
リーマン・ショックは、サブプライムローンといういかがわしい金融商品の破たんをきっかけにおきたものですが、株価暴落、信用崩壊が実体経済にも大打撃をあたえ、各国の国民は倒産や失業に苦しみ、日本でも大規模な「派遣切り」がおこなわれ、格差と貧困がひろがりました。
マネーゲームの主催者である一握りの大投資家だけが大もうけする一方で、多数の人びとが富をうばわれ苦しむ――胴元だけが太りつづける▼とばく△の世界とよく似ています。
安倍政権がすすめてきた経済政策もとばくのようなものです。
第一に、実物のとばく場を開こうとしています。
二〇一八年七月、自民、公明、維新は、国民の六割以上が反対しているにもかかわらず、民営とばくを解禁する「カジノ実施法」を強行しました。日本人とくに高齢者の資産をアメリカのカジノ企業に差しだす、究極の売国法です(そのしくみはすぐに説明します。三七ページ以下)。
第二に、国家をあげてとばくにのめりこんでいます。
とばくの目的は、株価の引き上げとアメリカの要求にこたえることです。
この数年の株価の上昇は、大企業や富裕層、投資家に巨額の利益をもたらし、安倍政権は経済界の強い支持をえることに成功しました。
多くの国民にとって株価の上昇はじっさいにはあまり関係のないことですが、それでも株価を上げれば、「そのうち地方も景気がよくなってくるかもしれない」「これから自分もよくなるかもしれない」という期待や幻想を国民に与えることができます。それがいままで安倍内閣の支持率の一定の下支えにもなってきました。
株価を維持することは、政権を維持し憲法改悪をすすめたい安倍首相にとって、必要不可欠な課題となっているのです。
どうじに、安倍首相は日本の株価を上げるだけでなく、アメリカの経済的な要求にもこたえてきました。その手法は、二つありました。
一つは、日本銀行のマネーをつかったとばくです。
安倍首相は、日本銀行をみずからの意のままにうごく「アベ銀行」に仕立てたうえで、「異次元の金融緩和」という異常な金融政策を断行させ、円安・株高の金融バブルをつくりだしました(自然にではありません。意図的です)。さらに、株価を支えるために、日銀マネーを株式市場につぎこみました。日銀はまるで安倍政権のサイフ代わりのように使われてきたのです。
大企業や大株主、外国人投資家は大もうけしましたが、日銀は大量の国債と株をかかえこむことになり、大きな経済パニックを引きおこす危険性があります。
「異次元の金融緩和」は、もともとアメリカが自国の資金集めのためにもとめてきた政策でした。日本の金利がアメリカの金利より下がれば下がるほど、金利の安い円が売られ、金利の高いドルが買われる。その結果、日本からアメリカへ資金が移動するからです。
二つ目の方法は、私たちの老後の資金である年金積立金を元手にしたとばくです。
安倍首相は株価をつり上げるために、年金積立金をリスクの高い株式市場につぎこんできました。さらにアメリカの要求にもこたえ、年金積立金を米国債の購入やアメリカの株価を支えるために差しだしてきました。
安倍政権の経済政策のすべてが、まさに売国のマネーゲームです。
スーザン・ストレンジは、電光ボードをみながら株の売買をおこなうトレーダーのすがたが、カジノでルーレットの円盤のうえを回転する銀の玉をみつめるギャンブラーと非常によく似ていると指摘しました(『カジノ資本主義』一九八六年)。
首相執務室で電光ボードをながめる安倍首相も、そういうギャンブラーたちとあまり変わりがないようにおもえます。
実物のカジノをつくるだけでなく、とばくのような経済政策をすすめる――まさに国家をあげた「カジノ資本主義」です。もはやアベノミクスというより「カジノミクス」とよぶのがふさわしい。
本書の目的は、「カジノミクス」の危険性をあきらかにしたうえで、まともな経済への転換を提起することにあります。
第一部「許すな、売国のカジノ上陸」では、自民、公明、維新によって強行された「カジノ実施法」の反社会性、売国性、違法性について告発します。
この法律は、カジノだけでなく、民営とばく全体の解禁に道をひらくものです。法律の廃止をめざしながら、日本のどこにもカジノをつくらせない各地域でのたたかいが重要になっています。
第二部「あぶない『カジノミクス』」では、「アベ銀行」と化した日銀の「異次元の金融緩和」の危険性と真のねらいを告発し、正常化の道を提起します。
どうじに年金積立金の運用にかんする問題点と危険性をあきらかにし、本来の運用のありかたをかんがえます。
「カジノミクス」のすべては株価を引き上げ、支えるためにおこなわれてきたものです。
二〇一八年はマルクス生誕二〇〇年にあたります。
マルクスは、株式制度について、個人資本が社会化する過程として評価しながらも、けっきょく少数の「山師」による「取引所投機」となり、「ぺてんと詐★さ☆欺★ぎ☆の全体制を再生産する」ときびしく批判しました(「資本論」第三部・第二七章)。
いまから百数十年まえに、マルクスは株式制度がとばく化することを的確に指摘していたのです。
現在の資本主義は、「株主資本主義」と呼ばれるように、株価がすべてといわんばかりのマネーゲームが横行し、マルクスが指摘した「ぺてんと詐欺の全体制」が途方もなく拡大再生産されてきました。そのなかで格差と貧困もひろがりました。
しかし、この「株主資本主義」にたいし、経営者や保守層の側からも疑問の声があがるようになっています。株価を上げるために目先の利益だけを追求する経営が、企業の中長期戦略を阻害し、将来を危うくしているという批判です。
本書のさいごでは、「株主資本主義」から、まともな経済への方向転換を提起します。
いまや、金融がわからないと世の中全体がわからない、といわれる時代になりました。国民の経済的苦難の背後には、どん欲な金融資本が存在するからです。
それゆえ二〇一一年九月にアメリカでおきた「九九%のための政治」をスローガンにした大規模な抗議行動がむかったのもウォール街(ニューヨークの金融機関が集中する一区画)であり、合言葉は「ウォール街を占拠せよ」でした。
「民主的社会主義者」を自称するバーニー・サンダース氏はウォール街についてつぎのようにのべています。
「ウォール街には詐欺師がいます。その強欲、その無謀、その無法な行為が、このひどい不況を引き起こし、大変な被害をもたらしました。……私たちは、ひと握りの泥棒男爵がこの国の将来を支配することなど、絶対に許さないのです」(『バーニー・サンダース自伝』萩原伸次郎訳)。
本書は、金融は苦手という方にも読んでいただけるよう、専門的な知識にふみこむより、ものごとのしくみと関係をのべることに重点をおきました。金融経済用語もできるだけ解説をくわえながら書きすすめるようにしました。
本書が、日本経済のまともな発展をねがう各分野の運動や、カジノをつくらせない全国各地のたたかいに少しでもお役にたてれば幸いです。
|